ホッと空の物語ー8 少年の思い-1

小学四年生の特、戦艦大和の模型を作った。粘土で船型を作り、それに習字の紙を何枚ものりで重ね張りして形を作った。甲板、艦橋、大砲は木で作った。電池とモーター、スクリューをセットして、重心を調整する。紙の船体に油性ペンキを塗って完成である。舵の角度を少しずつ変えながら大きな円を描くように池で走らせて遊んだ。壮観であった。艦長の山本五十六の気分であった。
次に飛行機を作った。ゴムで飛ぶプロペラ機である。プロペラだけ買ってきて、自分で竹を削り、竹ヒゴから作った。
次にロケットに挑戦した。鉛筆のアルミのキャップに筆箱のセルロイドを削って詰め、閉じる。穴を開けた竹の発射台に載せ、ローソクの火であぶると白い煙を吐きながら飛んでいく。色々研究した。ロケット博士になった気分であった。この頃の日本のロケットはペンシルロケットであったから、私のも捨てたものではないと思っていた。
学習塾は無かったが、ソロバン教室に行かされた。既に電気計算機が発売されていたので、ソロバンなど要らないと思ったが、父にこんな高価なものが買える時代は来ないから習っておけと言われた。1年で1級を取得した。
5年になるまで勉強は好きでなかった。5段階評価の下から2か3ばかりだった。5,6年生の担任が田辺先生である。人生をいろいろ示唆してくれた。高松高校というのがあることも話してくれた。
先生が皆に将来何になりたいかと聞いたことがある。消防士、バスの運転手、汽車の運転手等、今も男の子の好きな職業が出た。実際、蒸気機関車の運転手や石炭手はみるからに格好よかった。私は「陸軍大将、今度は負けへんきん」と言うと「陸軍はもうない。負けたし、これからも無い、今度負けたくなかったら勉強しろ」と諭された。写真は6年生の修学旅行である。
中学は地元の高瀬中学校に入り二年から高松の桜町中学に転校した。担任の先生が子供の将来のためにと勧めた。勉強の習慣が実り始め2年の2学期には通信簿は音楽の1、美術の2を除いて7科目全部5になった。試験はほとんど満点であった。桜町中学で少し変わった美術の先生がいた。絵画よりも彫刻系が好きで石膏を使った自己の頭像を作る授業があった。これは結構楽しくて、鏡を数枚使って後頭部を観察しながら、粘土で作って石膏像にした。
中学三年の時初恋をした。長い髪を上の方から左右を三つ編みにした面長な娘だった。片思いが通じ何度か文通できたがそれだけだった。


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