テーマ:伝記

ホッと空の物語28‐海峡のモグラ-リベンジはパリから

エマニュエル・オーレ事務所はパリ8区にありフランス国鉄(SNCF)サンラザール駅前で、R.Sato事務所の近くである。周りにはプランタンデパート、オペラ座などがある。パリの常宿にしていたホテルアリソンはマドレーヌ寺院の周辺である。近くのサント ノーレ通り(Rue Saint Honore)にはエルメス、グッチなどの有名ブランド店が並んで…
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ホッと空の物語‐17 英仏海峡トンネルの構造

英仏海峡は英国名はドーバー海峡、仏名はアングロフレンチ海峡または単にラ・マンシュと言う。地層は繋がっていて、海峡は上部のホワイトチョーク層を掻きとった感じで形成されている。各地層の色は読んで字の通りである。掻き取られた岸壁はホワイトチョークの断面なので、まさに白い。両岸は同じだが仏側は北に面し日陰であるので、南を向いた英国側が輝いている…
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ホッと空の物語-14 新しい家庭

入社してしばらくすると、父が盛んに見合いの話を持ってきた。皆郷里の人であった。遠くの娘をもらうと帰ってこないと心配してのことである。盆、正月やゴールデンウイークに帰省する毎に見合いをさされた。 見合い相手何人目かの妻とは会った時にすぐ決心した。年末に会って、翌年2月には婚約し、5月3日に式を挙げた。昭和50年のことで私が26歳で妻が2…
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ホッと空の物語-12 欧州への留学

欧州への留学 昭和53年(1978)、29歳の時に幼少から憧れていたドイツに2ヶ月の予定で行くことになった。 盆休みの前日、十数頁のカタログを3冊渡されて休みの間に読んで来いと指示された。独語である。読めるわけはなかったが帰省を取り止めて何とか2ページ程訳した。たったこれだけかと叱られたが、すぐにパスポートを取れと言う。他の人…
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ホッと空の物語‐10 父母の記憶

姓は母方のものである。家紋は「丸に三つ橘」である。 ご先祖様として、お寺の過去帳に記名されている籐兵衛は、関が原合戦(西暦1600年)の頃に生まれ、1615年の大阪夏の陣頃に少年時代を過ごした人である。 江戸時代から苗字帯刀が許されたそこそこの地主であった。 母、智恵子は大正6年(1917年)生まれで一人っ子である。母の母ヒサも一…
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ホッと空の物語ー7 昭和30年代の世相と風俗

昭和30年代の世相と風俗  戦争の残滓がまだ冷めやらない時代で、20年経ったら再戦と言う気分が漂っていた。遊びは戦争ごっこが流行っていた。低学年は新聞紙で折った兜を被って竹の棒で戦国武将を真似、高学年ではロケット花火で大砲合戦をした。竹で自ら弓矢を作り撃ち合いをした事もある。空気銃や黒色火薬を調合して手製の銃で遊ぶものもいた。私も傑作…
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ホッと空の物語ー6 昭和30年代の生活

昭和30年代の生活  茅葺きの家が結構あった。定期的に葺き替えなくてはならず、私も手伝ったことが有る。蚕を飼っていた家もあった。母屋の二階に蚕たなを作り、繭を取る。何万匹もの蚕が桑の葉を食べる音はすごいものパリパリと言う音が聞こえてきていた。 実家には大きなムカデが住んでいた。母は家の守り神だ、何もしなければ大丈夫だと言っていた。だ…
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ホッと空の物語ー5 実家の記憶

実家は讃岐の西の方にある七宝山の東山麓に位置している。 屋敷は、南北30m、東西20mくらいある。南東の角に門があり、アプローチが左にゆるいカーブを描いて母屋の玄関に向かっていた。 便所は母屋の西面にあるが奥座敷を通って一度、外に出るので、夜は怖わくて、1人では行けなかった。床は高いので板敷居間の土間からもぐって床下で遊ぶことが出来…
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ホッと空の物語ー4 小学生の頃

小学生のころ ピカピカの1年生 小学校はピカピカの1年生と言うが、そうでもなかった。入学式の写真では、皆面白い格好をしている。履物も長靴から藁草履、はだし等、色々である。制服が買えない家庭もあり私服の子もいたしランドセルを持っていない子も大勢いた。風呂敷や何かの袋で代用していた。ただ、あまり気にしていなかったと思う。教科書の購入…
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ホッと空の物語ー3 幼稚園の頃

幼稚園のころ 幼稚園入園は6歳である。場所は小学校の道向かいで警察駐在所の隣にあった。現在は、保育園になっていて、駐在所はなくなっている。幼稚園は小学校の反対側に移り、立派な園舎が出来ている。 かばんは今と同じ黄色い肩掛けであったが、よくランドセル風に背負って小学生の真似をしてカッコをつけていた。 毎年秋に演劇会があり、この年…
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