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ホッと空の物語74‐マシントラブル

トンネル掘削機は案件毎の受注製品で、納入、施工終了までに様々なトラブルが発生する。機械の大きさに関係なく、油圧、電気、CPなどを組み合わせた複雑な技術システムであり、使用場所は大きな地圧力の働く地中なので、思いがけない問題が起こる。 そして工法の特性として掘削を開始すれば後戻りはできないのでトラブルによってはトンネルを貫通できないとい…
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ホッと空の物語62‐魅惑星インド

インド大陸はユーラシア大陸とは別なもので、遠くから流れ着いたと言われる。同じように人も社会も異なる惑星から来たのではないかとの印象を受けた。この国に対しては嫌う人と、好きな人の差が激しいと聞く。私には測り知れない興味と不思議な魅力がある。 インドの国土は日本の8.7倍で人口は約10倍である。しかしGDPは30%足らずなので、単純比較で…
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ホッと空の物語61‐中国紀行

 56才になると役職定年となり実務ラインから退く。2006年のことで、社内業務の他に関連会社MCLの専務の肩書をもらった。中小ゼネコンと共同で設立した小口径の推進機を扱う会社で、KHIが製造して方向制御機構と新開発の自走ロボット式測量技術が自慢で、経営的には優良企業だった。月に一度の役員会に出席するのが職務で無報酬である。そして毎年9…
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ホッと空の物語57‐西の衝突地点 グラナダ・アランブラ宮

グラナダ イスラム教圏とキリスト教圏の争いはいまだ続いている。 もとは同じストーリーを有する兄弟宗教なので理解は難しい。私の個人的な見解としては、宗教と言うものは少なくとも2000年以上経過しないと成熟(柔和化)しないのではないかと思っている。イスラム暦元年は西暦の622年であるので、現在のイスラムの宗教的歴史年代は キリスト教の14…
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ホッと空の物語56‐文明の衝突地点 イスカンダリア

イスタンブール かつてコンスタンチノーブル(古い地名はビュザンティオン)と呼ばれた。395年に東西に分割された東ローマ帝国(後世にビザンチン帝国と呼ばれる)の首都である。 現トルコではイスカンダリアと呼ばれている。1996年と1998年に訪問した。ボスポラス海峡を横断するトンネル計画の調査である。 この都市の地勢は地政学の模範のよ…
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ホッと空の物語55‐続きはイタリア・アルプス紀行から

ドーバー海峡トンネル工事終了後も、大型案件が目白押しであった欧州へ多くの技術調査団が派遣された。来るべき国内重要案件への参考にするためである。 欧州の鉄道網のネックはドーバー海峡とアルプス山脈である。海峡の次はアルプス横断鉄道トンネルで、すでに計画は動き出していた。 一回目は1995年6月10日から6月18日の間で、鉄道関係者に…
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ホッと空の物語51‐海峡のモグラ-高速施工と記録

掘削作業は3シフトで24時間、364日行われた。休みは12月4日のセント・バーバラの日だけである。 1989年6月に破損したカッタヘッドを補強修理し終わり、完全にブルーチョーク層に入って、10月からは月進600mをコンスタントに出せるようになった。 掘削とセグメント組み立てを同時に20分、TBM後胴の前進(盛り替)に10分。つまり3…
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ホッと空の物語50‐海峡のモグラ-カレーの市民‐2

T2の掘削開始は1988年12月6日で、終了は1991年5月24日の20kmである。 この間に、世界は大きく変った。 1989年1月7日に昭和天皇が崩御した。日本時間の早朝6時半だったが、フランスでは6日の午後10時半である。すべてのフランスのテレビが緊急放送を始めたのを記憶している。日本に電話したが、国内ではまだ情報は伝わりきって…
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ホッと空の物語49‐海峡のモグラ-カレーの市民ー1

掘削のスタート地点は、サンガットと言う小さな町である。宿舎を置いていたカレー市から車で20分ほどである。通勤は提携したタクシーを利用した。カレーの市庁舎の前の庭には「カレーの市民」の像がある。この像はオリジナルの鋳型から作られた12のエディションの一つで第一番目のものである。ちなみに東京の国立西洋美術館に9番目のものがある。これは195…
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ホッと空の物語45‐海峡のモグラ-サンガットの組立工事

サンガット。。。。 1988年10月24日に現地入りし、サンガットでの予備品収納作業を始めた。一段落した11月に入って、T2のTACチーム(技術支援)のチーフとなることになった。 しかし愕然としたのは、T2の惨憺たる実情である。遅れに遅れた作業は仕方ないとしても問題は現場の殺伐とした雰囲気である。指導陣の方針・指揮が揃わず、その結果…
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ホッと空の物語44‐海峡のモグラ-シアトルの思いで

一回目は1987年6月29日から7月2日で三社コンソーシアム中、二回目は8月23日から9月4日で欧州調達の勉強のため、三回目は11月6日から9日で欧州規格と予備品管理のためにシアトルに出かけた。このプロジェクト終了後も、頻繁に行くことがあったので、この街も馴染みになった。 二回目、三回目はロビンスからはお客様のような丁寧な扱いをうけた…
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ホッと空の物語43‐海峡のモグラ-出航と工場立会

出荷および完成検査。。 4月12日にはT3の本体部品がFCBに向けて出荷となった。かってない驚異的なスピードで製作作された。 5月24,25日にT2の客先立会いが行われた。フランスから大勢が検査に来てマルタンも来た。立会いの日は普通、晴れがましいものであるが、今回だけは当社員たちのあの疲れきった姿は異様な感じであった。 この検査を…
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ホッと空の物語42‐海峡のモグラ-パリの生活‐2

10月になると、ボジョレーヌーボー(新ボジョレー)と言う新酒のワインが出る。このワインは寝かせて美味しくなると言うものではなく、せいぜい数年で終わりにする。ホテルの近くの表通りをすこし入ったところに、ボジョレーワインを一番に出せる権利を持ったレストランがあって、顧問弁護士のサンソン氏が連れて行ってくれる。外国人だけでは入れてくれない。こ…
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ホッと空の物語41‐海峡のモグラ-パリの生活‐1

調達活動でパリの外に出張する以外は、オーレの事務所で仕事をしていた。宿は地下鉄ノートルダム ド ノレット駅の近くのホテルブリタニーにした。このホテルはロビンスがパリの定宿にしていたところで、多い時は同僚8人が宿泊した。因みにノートルとは「我々の」と言う意味でダームは婦人である。つまり我々の婦人=マリア様である。 オーレ事務所はホテルか…
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ホッと空の物語40‐海峡のモグラ-欧州購入紀行

課題は調達品(購入品)である。カッタヘッド駆動装置はロビンスより購入、ジャッキ類は日本製としたが、マンロック、エレクター真空装置、セグメント受取り吊り上装置、掘削延長に伴う資機材受取り装置、大規模受電設備、大容量油圧装置など日本製が無いもの、有っても規格の問題、予備品の問題、契約上の製作比率などからフランスを中心とした欧州で購入する必要…
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ホッと空の物語39‐海峡のモグラ‐さすがの日本製造

1987年7月25日にT2,3の契約サインが行われ、29日に帰国。31日に社内のキックオフミーティング(スタート会議)が行われた。営業、設計、調達、品質管理、電装など関係部門が集まって、案件の説明、工程、契約内容などを説明して全員のベクトルを合わせる会議である。ただ受注に出発した時の事業部長は「しっかりやって受注して来い。後は引き受ける…
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ホッと空の物語37‐海峡のモグラ-勝利の美酒

TMCとの協議は仕様、契約条件の一語一句をつめていく。後日の係争の目を完全に摘むためである。この業界では実施段階で紛争になることもあるが、このプロジェクトではそのようなことを避けるため、用語の誤解釈がないように一語毎に意味を確認しあい、必要なら用語を変更して合意していった。しかしこの時点では互いに知識、認識の不十分なこともあり、予測しが…
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ホッと空の物語36‐海峡のモグラ-最後の苦闘

7月10日から、不眠不休の苦闘の日々が始まった。午前はオーレ事務所で書類の準備、午後はソファーで仮眠、夕方からTMCと協議そして夜遅く終了と言う日々が続いた。 TMCとDHIが夕方まで交渉していたので、我々は隠れるように夕方こっそりとTMCの門をくぐった。午後5時頃から出かけ、10時、11時過ぎまでミーティング。それから食事に行く。オ…
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ホッと空の物語35‐海峡のモグラ-単独責任の重み

二社コンソーシアムの単独責任。。。。 翌7月7日(火) 二社での遂行を議論したが、たいした結論も無く、すっきりしないままに時間が過ぎて行った。そして夕方になってディックが本音を吐いた。 ディック: 基本的にはKHIの仕事である。ロビンスはコストをよく把握していない。エンジニアが足りない。220MFの時、コストダウンに協力したか…
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ホッと空の物語34‐海峡のモグラ-青天の霹靂

7月6日、パリのオーレ事務所 ディック、ロビンスの顧問弁護士デュプレー、杉村、端元、近藤そしてオーレと主要メンバー全員が揃っていた。 FCBが離脱しロビンスとKHIの2社で続行することになった。シアトルで離脱しますと言ったが、なぜかロビンスは残ってきた。そしてわたしのすぐ後にパリに戻ったようだ。 情勢分析と今後の対応を練るというこ…
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ホッと空の物語31‐海峡のモグラ-同床異夢の三社

三社コンソーシアム 2月26日(木):TMCマルタン社長、フィルマン氏へ三社合意を報告した。マルタン氏は非常に喜んだが、三社であってもコストが合わなければ発注できないと釘を刺すのを忘れなかった。 新たな段階に入ったと言う満足感を持って、2月29日(日)に帰国した。 二週間ほどあわただしく、三社コンソーシアム協議用の必要書類や、…
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ホッと空の物語30‐海峡のモグラ-ディックの願い

その夜、彼我の形勢分析をじっくりと行った。最後に、杉村部長が「こちらがわずかかも知れないが強いと思う。明日は押すぞ」と断を下した。 明けて2月21日(土):土曜日。 ディック:昨日小杉とコンタクトを試みたができなかった。したがって結論が出ない。   しかしロビンスとしてはCo-opを続けたい。ポイントは2つである。   …
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ホッと空の物語29‐海峡のモグラ -三つ巴

ロビンスとの交渉は、小杉の問題が暗礁に乗り上げ膠着したままであったが、2月19日に杉村営業部長が来仏して事態が動いた。 1987年2月20日、21日(土)は大きな転換点だった。KHIはFCBに対し「小杉を公式参加させないこと」を確認しその上でロビンスの言い分を聞いた。 ロビンス社長ディック TBMのコンセプトはTRC(ロビン…
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ホッと空の物語27‐海峡のモグラ-出直しの設計ブックを携えて

MCSの実験は三分の一の縮尺規模で、日本で行うことになった。試料はフランスから約40トンのチョークを取り寄せる事にした。この時にチョークには上部からホワイト、グレー、ブルーの三種がある事を知った。仏側立抗にはブルーは出現しないのでグレーで試験を行う事にした。3月には開始する予定とした。 改めてTMCの仏文要求仕様書をきちっと和訳して読…
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ホッと空の物語24‐海峡のモグラ かすかな希望?

12月3日に、TMCからスクリューコンベア(SC)の実験をしているので見に来ないかと連絡があった。場所はカレー市のすぐ南東の発進縦抗が構築される予定のサンガット近郊である。TMCに会う最初で最後のチャンスと出かけたが、応札参加者の一人として、公平感を出すために呼ばれたのであって、我々は明らかに邪魔者扱いであった。 ただ何人かのTMC…
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ホッと空の物語-23 海峡のモグラ‐反撃の新技術

どんな展開になったとしても、今は新型SCのコンセプト(基本的考え)をしっかり固め、質問に応えられ、効能を説明できるように理論武装することが重要であると考えた。 SCは長くすれば、それに比例して耐水圧性能が上がる。しかし、TBMの寸法を大幅に超えて長くはできない。ここに耐圧の限界がある。そして大気圧下での運転は無駄な動力を使わないために…
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ホッと空の物語-22 海峡のモグラ‐T4も敗色濃厚に

10月31日(金)になって、T1の結果が判然としない中、FCBがT4のオッファはしないと言い出した。どうもTMCより土圧式でのオッファを求められたようである。 新型SCはまだ単なるアイデアの段階である上、土圧式シールドを良く知らないFCBの判断はやむなしと思われた。 なぜこうなったのか? 元の要求は泥水式である、これは先頭を走ってい…
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ホッと空の物語-21 海峡のモグラ‐T1の敗退

受注近し、と打電した翌日の14日に不安な情報がもたらされた。ウルパイン氏よりR.Satoへ電話があって「DHIはニューアイデアのダブリュスクリュー(W/SC)排土の土圧式である、泥水式のFCBは必ずしも安泰では無い」と連絡が入った。 DHIは耐圧性能を上げるため、長いスクリューを直列に2台接続した(W/SC)シールドであった。このアイ…
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ホッと空の物語-20 海峡のモグラ‐北フランスの生活

1986年10月5日(日)から長い受注のドラマが始まった。  それを暗示する出来事が出発日に起こった。夕方パリCHD空港に着いたが予定の迎えの人が一向に来ない。各到着便も終わって空港も閑散としてきた。日本航空のスチュワーデスの一人が「どうかしましたか、迎えがいないなら一緒にホテル日航に行きませんか」と誘ってくれたが、強がりから断ってし…
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ホッと空の物語-16 いざ英仏海峡へ

全国的な地下鉄、上下水道、地下河川、道路建設などの事業を受けてトンネル掘削機の業績は各社ともに急な上昇カーブを描き始め、視線は海外に向き始めた。わが社が最も積極的で1985年にはフランスのFCB社にシールド掘進機の技術供与を行った。そしてリール地下鉄用泥水シールド(Lot8:第8工区)工事を受注し、泥水輸送設備、処理プラントも欧州で設計…
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