テーマ:思い出

ホッと空の物語74‐マシントラブル

トンネル掘削機は案件毎の受注製品で、納入、施工終了までに様々なトラブルが発生する。機械の大きさに関係なく、油圧、電気、CPなどを組み合わせた複雑な技術システムであり、使用場所は大きな地圧力の働く地中なので、思いがけない問題が起こる。 そして工法の特性として掘削を開始すれば後戻りはできないのでトラブルによってはトンネルを貫通できないとい…
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ホッと空の物語73‐世界の宗教 in シンガポール

日本人は宗教についてあまり関心を持っていないが、世界ではどの宗派に属しているかは国籍やそれ以上に重要な事である。西暦はキリスト教の年代を基準としてカウントしている。令和二年はA.D.(Anno Domini =主の年)2020年となる。ユダヤ暦では5780年または81年である。イスラム暦(A.H.)では1441年あるいは42年となる。日…
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ホッと空の物語72‐世界の料理‐アジア

外国で楽しみの一つは食事である。嫌な事があっても旨い物に出会うと「いい国だなー」と思う。 西洋料理の代表はフランス料理だろう。これにトマトやオリーブオイルで味付けすればイタリアンに、魚貝を加えるとスペインになる。豚肉やポテトを主力にすればドイツである。アジア料理も中華、インド、タイ、日本と味も食材も料理法も非常に幅広い。しかし西洋料…
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ホッと空の物語71‐世界の料理‐西洋

 外国を旅する楽しみは、景色、街、人物、歴史建造物と共に、食事である。移動中や街中で多少いやなことがあっても美味しい物にありつけると「いい国だなー」と思うことができる。美味しいという感覚は単に舌の味覚だけではなく、衛生、食材の安全、生活の安全、気楽さと良い緊張感、妥当な代価など多くの要素が満たされて成り立つ。1985年から20年間、世界…
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ホッと空の物語62‐魅惑星インド

インド大陸はユーラシア大陸とは別なもので、遠くから流れ着いたと言われる。同じように人も社会も異なる惑星から来たのではないかとの印象を受けた。この国に対しては嫌う人と、好きな人の差が激しいと聞く。私には測り知れない興味と不思議な魅力がある。 インドの国土は日本の8.7倍で人口は約10倍である。しかしGDPは30%足らずなので、単純比較で…
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ホッと空の物語61‐中国紀行

 56才になると役職定年となり実務ラインから退く。2006年のことで、社内業務の他に関連会社MCLの専務の肩書をもらった。中小ゼネコンと共同で設立した小口径の推進機を扱う会社で、KHIが製造して方向制御機構と新開発の自走ロボット式測量技術が自慢で、経営的には優良企業だった。月に一度の役員会に出席するのが職務で無報酬である。そして毎年9…
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ホッと空の物語57‐西の衝突地点 グラナダ・アランブラ宮

グラナダ イスラム教圏とキリスト教圏の争いはいまだ続いている。 もとは同じストーリーを有する兄弟宗教なので理解は難しい。私の個人的な見解としては、宗教と言うものは少なくとも2000年以上経過しないと成熟(柔和化)しないのではないかと思っている。イスラム暦元年は西暦の622年であるので、現在のイスラムの宗教的歴史年代は キリスト教の14…
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ホッと空の物語56‐文明の衝突地点 イスカンダリア

イスタンブール かつてコンスタンチノーブル(古い地名はビュザンティオン)と呼ばれた。395年に東西に分割された東ローマ帝国(後世にビザンチン帝国と呼ばれる)の首都である。 現トルコではイスカンダリアと呼ばれている。1996年と1998年に訪問した。ボスポラス海峡を横断するトンネル計画の調査である。 この都市の地勢は地政学の模範のよ…
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ホッと空の物語52‐海峡のモグラ-不朽のモニュメント

T2ヨーロッパ号の20.009Kmの5月24日到着に続きT3カトリーヌ号も、1991年6月28日に18.857Kmを掘削して完了した。平均月進はT2が664m、T3が685mで契約の530mをはるかに超えるものである。ちなみに従来の実績では150m~200mである。月進最高はT3の1178mで世界最高記録である。 カッタヘッドが回転し…
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ホッと空の物語37‐海峡のモグラ-勝利の美酒

TMCとの協議は仕様、契約条件の一語一句をつめていく。後日の係争の目を完全に摘むためである。この業界では実施段階で紛争になることもあるが、このプロジェクトではそのようなことを避けるため、用語の誤解釈がないように一語毎に意味を確認しあい、必要なら用語を変更して合意していった。しかしこの時点では互いに知識、認識の不十分なこともあり、予測しが…
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ホッと空の物語33‐海峡のモグラ-不可解な動き

三社から二社へ... コスト積算を待つ段階で、不可解な動きが出てきた。 5月08日(金)になって、T2,3は原点に戻ってスラリー式が採用されるとの情報が何処からか出てきた。これに対して、FCBとロビンスはT1と同じ形式の土圧式を本案とし、スラリー式はオプション(別途見積り)で出す。MCSの土圧式は出さないと言いだした。 何故こんな…
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ホッと空の物語-21 海峡のモグラ‐T1の敗退

受注近し、と打電した翌日の14日に不安な情報がもたらされた。ウルパイン氏よりR.Satoへ電話があって「DHIはニューアイデアのダブリュスクリュー(W/SC)排土の土圧式である、泥水式のFCBは必ずしも安泰では無い」と連絡が入った。 DHIは耐圧性能を上げるため、長いスクリューを直列に2台接続した(W/SC)シールドであった。このアイ…
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ホッと空の物語‐19 海峡のモグラ-仏企業と共に

1986年の7月にTBM各社は技術仕様書と見積書を提出した。我陣営は、陸上側、海峡側共にTMCの要求仕様どおり、泥水式で応札した。日本勢の他社は海陸共に新型スクリューコンベア(SC)を採用した土圧式、米国ロビンスもスクリューコンベアの後部に新鋭の耐圧装置を装着した土圧式とのことであった。 TMCによるヒアリングの後、9月になって、最初…
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ホッと空の物語‐17 英仏海峡トンネルの構造と機種の示唆

英仏海峡は英国名はドーバー海峡、仏名はアングロフレンチ海峡または単にラ・マンシュと言う。地層は繋がっていて、海峡は上部のホワイトチョーク層を掻きとった感じで形成されている。 海峡の地形は45万年前に形成されたと言われている。太古はこのあたりは海底下にあったので陸地はチョーク層や石灰岩でできている。その後隆起した時、イングランド島は…
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ホッと空の物語-13 驚愕の独製硬岩TBM

ビルト社ではTBMを製作している工程を追いながら、輸入後の運転、メンテナンスをスムーズに行うために、研修を受けた。毎日、講義と現場実習である。自身の会社では、TBM事業は開店休業状態だったので、製品への関心はあまりなかったが、彼らの基礎技術には大いに興味があった。ビルト社は規模としては中クラスであるが、技術レベルは非常に高く感じ…
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ホッと空の物語-11 TBM技術者としてスタート

大学の研究内容にあまり興味を持てなかったので、就職を選んだ。1972年で就職は比較的希望がかなう時代だった。重工関係の会社に入社して、土木機械課に配属された。シールドやTBMのトンネル掘削機の設計部門で20名程の小部隊で創設は1963年と歴史の浅い部門だった。 最初は米国のライセンスを基に国産化した硬岩用TBMに関わった。その他に小型…
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ホッと空の物語-2 おぼろな記憶

おぼろな記憶 ごろりと回ると、とても眩しい日の光が眼をさした。どうも上を向いたみたいである。やけに体がころころする。分厚く着せられているのだろう。またごろりと回ると、頬がチクチクする。ムシロらしい。そのムシロの端に老婆とちょっと大きい男の子がひざに抱かれている。老婆の顔は思い出さないが髪の白さが残っている。時々その老婆が飴をく…
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ホッと空の物語-1 瞬きのはじめ

瞬きのはじめ  ゴロリと横になると、芝生の匂いが心地良い。今日の陽射しは北フランスの古都リールの11月初旬にしては暖かい。空に北北東に向かって飛行機雲ができている。あの高度なら日本行だろう。俺はいつ乗れるのだろうか。とても不安になった。 ドーバー海峡トンネル用掘削機(TBM)の受注競争が始まった1986年のことである。 瞬きを…
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ホッと空の物語を始めました

百万人の赤ちゃんが生まれれば百万の人生がある。 私の人生は1949年に日本の210万の一個としてスタートした。 人が時代を変えるのか、時代が人を育てるのかは知らないが、何人も社会の潮流から大きく外れることはできない。それでも一つのうねりの始まりから終わりまで見届けられたら幸せである。他人にはどんなに小さなうねりでも、素晴しい。いつも…
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