ホッと空の物語ー7 昭和30年代の世相と風俗

昭和30年代の世相と風俗  戦争の残滓がまだ冷めやらない時代で、20年経ったら再戦と言う気分が漂っていた。遊びは戦争ごっこが流行っていた。低学年は新聞紙で折った兜を被って竹の棒で戦国武将を真似、高学年ではロケット花火で大砲合戦をした。竹で自ら弓矢を作り撃ち合いをした事もある。空気銃や黒色火薬を調合して手製の銃で遊ぶものもいた。私も傑作…
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ホッと空の物語ー6 昭和30年代の生活

昭和30年代の生活  茅葺きの家が結構あった。定期的に葺き替えなくてはならず、私も手伝ったことが有る。蚕を飼っていた家もあった。母屋の二階に蚕たなを作り、繭を取る。何万匹もの蚕が桑の葉を食べる音はすごいものパリパリと言う音が聞こえてきていた。 実家には大きなムカデが住んでいた。母は家の守り神だ、何もしなければ大丈夫だと言っていた。だ…
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ホッと空の物語ー5 実家の記憶

実家は讃岐の西の方にある七宝山の東山麓に位置している。 屋敷は、南北30m、東西20mくらいある。南東の角に門があり、アプローチが左にゆるいカーブを描いて母屋の玄関に向かっていた。 便所は母屋の西面にあるが奥座敷を通って一度、外に出るので、夜は怖わくて、1人では行けなかった。床は高いので板敷居間の土間からもぐって床下で遊ぶことが出来…
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ホッと空の物語ー4 小学生の頃

小学生のころ ピカピカの1年生 小学校はピカピカの1年生と言うが、そうでもなかった。入学式の写真では、皆面白い格好をしている。履物も長靴から藁草履、はだし等、色々である。制服が買えない家庭もあり私服の子もいたしランドセルを持っていない子も大勢いた。風呂敷や何かの袋で代用していた。ただ、あまり気にしていなかったと思う。教科書の購入…
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ホッと空の物語ー3 幼稚園の頃

幼稚園のころ 幼稚園入園は6歳である。場所は小学校の道向かいで警察駐在所の隣にあった。現在は、保育園になっていて、駐在所はなくなっている。幼稚園は小学校の反対側に移り、立派な園舎が出来ている。 かばんは今と同じ黄色い肩掛けであったが、よくランドセル風に背負って小学生の真似をしてカッコをつけていた。 毎年秋に演劇会があり、この年…
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ホッと空の物語を始めました

百万人の赤ちゃんが生まれれば百万の人生がある。 私の人生は1949年に日本の210万の一個としてスタートした。 人が時代を変えるのか、時代が人を育てるのかは知らないが、何人も社会の潮流から大きく外れることはできない。それでも一つのうねりの始まりから終わりまで見届けられたら幸せである。他人にはどんなに小さなうねりでも、素晴しい。いつも…
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ホッと空の物語-2 おぼろな記憶

おぼろな記憶 ごろりと回ると、とても眩しい日の光が眼をさした。どうも上を向いたみたいである。やけに体がころころする。分厚く着せられているのだろう。またごろりと回ると、頬がチクチクする。ムシロらしい。そのムシロの端に老婆とちょっと大きい男の子がひざに抱かれている。老婆の顔は思い出さないが髪の白さが残っている。時々その老婆が飴をくれた…
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ホッと空の物語-1

瞬きのはじめ  ゴロリと横になると、芝生の匂いが心地良い。今日の陽射しは北フランスの古都リールの11月初旬にしては暖かい。空に北北東に向かって飛行機雲ができている。あの高度なら日本行だろう。俺はいつ乗れるのだろうか。とても不安になった。 ドーバー海峡トンネル用掘削機(TBM)の受注競争が始まった1986年のことである。 瞬きを…
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