ホッと空の物語63‐TBMオリンピック ロンドンCTRL‐1

第30回オリンピックは2005年にロンドンに決まり2012年に開催された。これに先立つ2002年から2003年にかけてTBMのオリンピックとも言うべきプロジェクトが英国に在った。CTRL(Channel Tunnel Rail Link) と言う。英仏両国はユーロトンネルの開業に合わせて高速鉄道路線を整備することになっていた。フランスは完了させたが、英国は在来線を使用したので高速運転ができなかった。このCTRLプロジェクトによってロンドン‐パリのユーロスター運行がようやく目指す姿になった。トンネル工事には、日独加のTBMメーカーが新鋭機を投入して成果を競った。

プロジェクト概要
英仏海峡トンネルのフォークストンからロンドンのセントパンクラス駅までの109kmの高速鉄道を整備するもので1996年に国会承認された。ロンドンのユーロスター駅はWaterloo駅からSt.Pancras駅に変更される。パリには2時間55分が2時間20分となりブラッセルには2時間40分がわずかに2時間となる。
工事は海峡トンネルからNorth Kent 近くのFawkham Junction までのSection 1とそれ以降、ロンドンSt.PancrasまでのSection 2で構成されている。
Section 1は延長74kmで新線を建設する。おもに地上を走行しトンネル部分はTwin TrackのSingle Tunnelである。1998年に工事を開始、2003年に開通した。
Section 2は延長が39kmでその中にLondon Tunnel 19kmとThames Tunnel 3kmを含んでいる。両トンネルともにSingle TrackのTwin Boreトンネルである。開業時、ユーロスターはテムズ川南のウォータールー駅に結ばれているが、このままではイングランド主要部から北方へは接続できない。そこでこれをテムズ川北側に移してさらに北方への延伸を図る目的がある。新終着駅は地下鉄駅であり北行き列車のターミナルでもあるセントパンクラス駅と決まった。そしてロンドン郊外に新しいユーロスター駅としてStratford駅が造られることになった。セントパンクラスからストラッドフォート駅までを工区220、さらに海峡側に向かって240、250工区が設定された(London Tunnel 19km)。テムズ川横断トンネルは工区320である。合計4工区、8台のシールド機が採用された。
Section 2の地質はTanet Sandを主体としているが、地上に出る工区220と250ではLondon Clay層がある。Tanet Sandでは掘削に伴う沈下防止が重点項目となり、土圧式を主体とする機種となった。テムズ川を横断するThames Tunnelは水圧変化に対応しやすい泥水式と決まった。

受注活動
1996年の時点ではロンドンには多数の日本ゼネコンが支店を開いていて、シールド工事も手掛けていた。我々は1993年に地下鉄用として日本製造の土圧式シールドを4台、1996年には泥水式シールドを英国マーカム社で製造し納入した実績を持っていた。そして同年パリにシールド営業を主とする事務所を開設し欧州での受注拡大を目指していた。このような状況下でCTRLプロジェクトが公表されたわけである。同時期に進行していたフランスでの大型案件(SCATOP)は1997年初めには失注したので、本件は欧州市場での最重要案件であった。
直に活動を開始した。まず英国ゼネコン(GC)、在英日本ゼネコンへのコンタクトを始めた。夜はコンサルタントと接触し情報収集に努めた。
そんな折、英国有力GCのバルフォア・ビューティ社(BB:Balfour Beatty)に何度目かの訪問時に二人の紳士が現れ、「Exclusiveな関係で進めたい。4台受注の計画が進んでいる」と申し出があった。一社とExclusiveとすると失注のリスクもあるので、いろいろ調査した結果、事実と思えたので、その方向で進めることにした。
製作は欧州で考えていて、第一候補はフランスFCB社であった。ただTBMの口径的に少し困難さが有った上に「会社全体の経営状態が悪く、TBM事業でも大きな失策があり継続できない。提携を終了したい」と申し出があった。やむなしとして次善の策としてフランスのサクソン社があげられた。しかし同時進行的にドイツ市場への進出も図っていたので、その場合の製造拠点としてオランダ重工業の調査も行っていたので製造場所は未定であった。
1998年のパリ滞在中に、英国から二人の紳士がパリ事務所にやってきた。今日までの友人になるR.ルイス氏である。「マーカムから来ました。メーカーのPQ(予備審査)に合格した。KHIと組みたい」と。「当方は必要としない」と一度は断ったが、いろいろと事情を話し合った。ドーバーでの名門企業であるし、FCBの代わりになる上に、すでに下請けもしてもらっていたので、提携して頑張ろうと言うことになった。そして、日本GCが受注の場合はKHIが契約者となりマーカムを製造拠点として活用し、そうでない場合はマーカムが受注をして、KHIは技術支援を行うということになった。そしてその年にライセンス供与という形で提携した。BB社の事も有り受注は大いに期待できた。

英国トンネル協会(BTS)講演
これまでの英国での実績を広告してCTRLの受注をより確実にするため講演会をしようとなった。ルイスの尽力もあって、BTS(英国トンネル技術協会)での講演となった。審査はとても厳しく、論文の中身、新規性学術性に加えて、講演者の英語力も対象となる。秘書からのいきなりの電話審査に応えられず、「語学力が低い、講演に耐えられない」とクレームが来た。しかしルイス氏が「責任を持って講演当日までには仕上げるから」と言うことで受け付け審査の許可は出た。この後、彼が文脈、Wardingを修正し、朗読をカセットテープに入れて送ってきてくれた。4,5カ月前だったと思う。毎日聞いて覚えこんでいった。BTSからも質問や文章の修正が入り、3カ月前に再度秘書の女性から電話が来て、文章の背景の説明や、業務の現状、個人的な質問があって、最後に「OK, See you in BTS」と言われて合格した。講演日は1999年5月20日の夕方と決まった。
当日はBTSの大講堂に200名の聴衆が集い、初めての東洋人の講演を興味津々の面持ちで待っている。講演内容は丸暗記をした。しかし持ち時間は二時間と長丁場である。原稿を間違えないように指で指し示しながら読んでいくが、単に朗読ではダメで聴衆の方にも気を配る必要がある。そうこうするうちに、段々景色が見えなくなって最後は視野が30センチほどの円になり他は闇となった。視野が狭くなるとはこの事と知った。質疑応答はLewisや仲間の助けで無事終わった。最後に司会者が「この講演は数ある中でも5番以内に入るワンダフルで興味のあるものである」とほめて頂きアンコール拍手をもらった時は本当に嬉しく安堵した。この講演はExotic TBMsとしてT&T(Tunnels and Tunnelling International)誌 Sep.1999に掲載された。

プロジェクトの変転
こうしてゼネコン、コンサルの人脈も出来、受注が期待できたが、英国の経済的な理由から一旦この案件は延期となった。加えてマーカム社の経営が傾き、工場もチェスターフィールドからシェフ―ルドへ移転し、TBM部門は閉鎖となった。技術供与協定は1990年に自然終了して、ルイスは離職した。この後彼はコンサルタントとして独立していた。CTRLの受注後、手紙をもらって、製造expertizerとして協力してもらった。その後世界各地での案件にも関与して親交を深めた。
一方、日本経済も1991年のバブル崩壊、1997年の消費税値上げ、財政再建政策によって不況が顕著になって、多くの日本GCも英国から撤退していった。こうしてCTRL案件は一旦振り出しに戻り、我々も忘れつつあった。
しかし2000年になって案件の推進が再開され、あらためて公式に施工者の入札が行われた。日、英、独、仏の施工者が企業体(JV)を組んで落札した。我々が期待していたバルフォア・ビューティ社は入れなかった。この時点でチャンスは小さくなったが、220工区は日本のN社主体のJVで受注した。

TBM機種と新技術の採用
TBMの要求仕様の原案はG・インス氏の作成で開放型(オープン型ベルトコンベア排土)と密閉型土圧式のConvertible (変換型)タイプであった。機能は我々のDualモード式と同じだが、二つの排土装置を併設する事が大きな違いであった。地質変化に対応して、オープンあるいは密閉(土圧)と、運転モードを変更するコンセプトには賛同出来るが、TBMは8mクラスと比較的小さな口径であるので両装置の併設はスペース的に厳しく、どちらの性能も高速施工を目指すには中途半端と考えられた。施工距離の大部分は密閉式であるので、スクリュウコンベア(SC)の排土容量を出来るだけ大きくしたい。オープン掘削におけるSCの使用はドーバーで十分な実績がある。性能発揮のポイントは傾斜の小さい取りつけ角度とすることである。これがDualモード式である。そこでこの方式の採用を働きかけることにした。何度もインス氏のもとに足を運び、要求仕様書を変更してもらった。
こうして2001年2月16日に設計業務、2001年7月2日に正式の受注契約となった。
我社担当の220工区は他の工区に比して、7.5kmと長距離掘削であること、地質にタネットサンドと言う摩耗性の高い砂層を含んでいることから技術的課題は多かった。特にインベアリング、スクリュウコンベアベアリング(SC)、軸受シールの寿命が大きな課題であった。通常のシールド機より高速回転の仕様にしていたのでリスクは非常に高かった。ちょうどこのころタイ国バンコック地下鉄でシール寿命に重大なトラブルが発生していたので、より慎重にならざるを得ない。しかしむしろこのトラブルは潤滑条件とシール寿命の相関について詳細なデータを与えてくれたともいえる。シール部は水冷式としシールの摺動部材(シールスリーブ)を硬度の高い物にしてかつ交換可能な構造とした。SCの水冷式交換可能型シールスリーブは初めての設計である。もうひとつ新しい技術開発を行った。
受注後は定例の会議が開催されて技術問題、進捗を報告検討する事になっていた。インス氏が機械の寿命のうち減速機及ピニオンギアーについて強度上のリスクを盛んに警鐘する。大容量電動機の場合、片持ピニオン方式はとメインギアとの接触位置が負荷条件によって変化し、実寿命は計算通りに保証出来ないはずと言う。確かに今回のドライブユニットは電動機250kwと過去最大容量のものである。そこでコンピュータを用いて歯面の接触シミュレーションをしてみた。すると最大トルク時に合わせて設計すると通常トルク時に異常接触をする。通常トルクに合わせると最大トルク時に異常接触をする。伝達接線力が巨大過ぎて現構造では両方をカバー出来ないことが判明した。
数年前から欧米では大容量電動機の採用と共に、ピニオンは両端支持とする機構が採用されていたのは知っていた。彼らの支持点は本体構造物と一体型である。しかし我々はこの方式は未体験であり危険すぎると感じたので、減速機内で両端支持して完結する方式を考えた(本体両端支持形式の開発は10年後の2011年となる)。これをベル方式と言う。インス氏の了解を得たが、重大変更なので試験データを持って施主の再承認を得なければならない。
さて時間はあまりない。どこでどう設計するか? 耐久試験も必要である。欧州各国で探し打診したが、カタログ品を使いなさいとケンモホロロである。最終的に九州のMM社を彼のエージェントが説得し開発・試験に当たる事にしてくれた。トルク負荷試験は非常に面倒で時間もかかるがMM社は所定の期間で納めてくれた。感謝の限りである。

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