ホッと空の物語57‐西の衝突地点 グラナダ・アランブラ宮

グラナダ
イスラム教圏とキリスト教圏の争いはいまだ続いている。 もとは同じストーリーを有する兄弟宗教なので理解は難しい。私の個人的な見解としては、宗教と言うものは少なくとも2000年以上経過しないと成熟(柔和化)しないのではないかと思っている。イスラム暦元年は西暦の622年であるので、現在のイスラムの宗教的歴史年代は キリスト教の14,5世紀頃である。つまり大航海、大布教の対外進出時代である。
宗教戦争は恐ろしいと思う。幸い日本は八百万(やおよろず)の神のいる超多神教の国で、しかも古来より同居、習合して来た歴史がある。もちろん日本にも宗教紛争はあったが、最後は織田信長によって、政治と切り離されて心のあり方だけを求める穏健なものになっていった。これを我々は感謝しなくてはならない。最後の凄惨な戦いは、一神教のキリスト教を奉じて決起した島原の乱であろう。
一方、一神教は同じ宗教内の戦いであっても熾烈であり、まして異教徒・異民族間となるとさらに凄惨である。
イスタンブールが東の戦場とするなら、グラナダは西の衝突点である。この地にあるアルハンブラ宮殿(現地発音ではアランブラ)はどうしても訪ねて見たかった場所でありマドリッドに出張した折、休日を利用して出かけた。2005年の事である。
建物は白を基調としているが、アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラー と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものである。Hは発音しないのでアランブラとなる。
地勢も見たかったのでマドリッドから列車で行く事にした。近くのセビリアには高速鉄道(TGV)があるので数時間の行程であるが、グラナダには6時間かかる。しかし、ゆっくりと登っていく裸の山岳地帯の風景を見ているのも悪くない。なぜこの地方が最後までイスラムの拠点たりえたかも感じられる。
早朝に出発し、午後2時頃に到着、ホテルで翌日の宮殿へのツアーを予約した。通常は無理らしいが、運良く参加できた。昼過ぎまで見学して、夕方の列車でマドリッドに帰った。

この街の歴史は興味深い。西暦642年にニハーヴァンドの戦いでペルシャをおさめたイスラムのウマイヤ朝が西暦711年にイベリヤ半島を占領し、さらに駒を進めたが732年に仏ボルドー近郊のツールポアチエの戦いでフランク王国に敗れて、西ヨーロッパへの侵攻は止まった。この頃がイスラムの欧州への最大版図であった。イスラム暦(西暦622)スタートから100年後である。ちなみにローマの最大版図は帝国化後100~150年である。
その後、じりじりとキリスト教側に押されていくが1232年にこの地方を拠点としてイスラムのグラナダ王国が建国された。1246年にはキリスト教国側と条約を結び、以来250年間にわたって栄えることになる。アルハンブラ宮殿もこの間に建設されている。15世紀に入って、スペインに連合王国ができると、条約は破られ、レコンキスタの名の下、攻勢を受けて1492年にグラナダ王国は滅んでしまう。しかし宮殿は残り、往時の栄華を伝えている。東ローマ帝国の都、コンスタンチノーブルの滅亡39年後である。シーソーゲームである。
地中海世界にローマ帝国が出来上がり、その刺激を受けて独仏などの地方にフランク王国ができた。843年にフランス王国、神聖ローマ帝国(独アーヘンが首都)、イタリアに分裂したが、神聖ローマ帝国はポーランドとともにワールシュタットの戦い(1237)でモンゴル軍を防いで欧州を守った。ツールポアチエの戦いは西の守りである。EUが発足した時、英国は余分だとフランスの知人が言っていたが、このような歴史がある。
アランブラの宮殿を見て思う。宮殿と呼ぶが基本的には城砦である。城砦は戦争に備えたものであるが、同族内の闘争と異民族間の戦争では根本に相違がある。
同族内の闘争の場合は敵に畏敬の念を与えて感服させたい気分があるので、内外共に華麗なつくりが多い。一方、異民族間の闘争の場合は、問答無用の冷酷さであり、城砦も飾りも何もなく、ただ強固の一点である。そして外部に対しては恐怖を与える外観を持っている。アルハンブラの本殿とも言うべき建物は縦横数メートルの巨石を積み上げて建設されていて、大砲でも用いない限り、突破できそうにない。また城砦の内部にたどり着くには日本の城郭のように、曲がりくねった坂道を、城側からの射撃を避けながら上がっていかなければならない。主な防御施設は巨大な防壁で、日本の城郭に見られるような水をたたえた濠はない。
一方、城砦の内部は外観からは想像つかない華麗さが施されている。高台にもかかわらず、精緻に構成された池、噴水は見事である。青を基調とした、タイル飾りの外観、室内は幻想的である。アルハンブラ宮殿の内部はその歴史的背景から、華麗さに加え、もののはかなさ、哀れさも漂っている。これが日本人の共感を呼ぶと共に、欧米人にはエスニックな興味をそそるのであろう。この普遍的芸術性が、あの残虐非道極まりない当時のスペイン人をしても、破壊から守ったのであろう。壮大、華麗にして素晴しいの一言である。キリスト教化された後、忘れられて荒廃していたらしいが、修復作業の真最中であった。
 装飾は精緻な彫刻が柱、壁全体に施されているが、この製作方法は合理的かつ、精度の高い方法である。いくつかの型板があって、これでモルタルを固めて組み合わせていくのである。西欧の協会建築の装飾も同じ様な方法が採用されている。アラベスク模様として知られている。もちろん大理石を彫刻しているのもあるが、全部が全部ではない。

スペインには2004年の初訪問から2010年までに10回行っている。ドーバー以降の海外戦略として、英国市場に注力していたが、次の市場として成長著しいスペイン市場の開拓が目的であった。また日本勢へ脅威となってきた、独HK社への対応も有った。
スペインは2017年になっても州の独立運動が見られるように、いくつかの地域の合邦国家である。ポルトガルの北のガリシア地方もその一つで、行ったころは独自通貨を使っていた。中心都市のサンチアゴ デ コンポステーラ はキリスト教の重要聖地のひとつである。この隣はバスク地方で人種も言葉も異なる。中心のビルバオも忘れえぬ街である。

画像


画像


画像


画像


画像

画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック