ホッと空の物語56‐文明の衝突地点 イスカンダリア

イスタンブール
かつてコンスタンチノーブル(古い地名はビュザンティオン)と呼ばれた。395年に東西に分割された東ローマ帝国(後世にビザンチン帝国と呼ばれる)の首都である。
現トルコではイスカンダリアと呼ばれている。1996年と1998年に訪問した。ボスポラス海峡を横断するトンネル計画の調査である。
この都市の地勢は地政学の模範のような地形をしている。いかなる国もその地政からは逃れられない。その学問、地政学は一国の運命を左右する。日本の明治維新以降の対外政策の基本構想は吉田松陰の提唱であった。一方米国の太平洋の掌握という構想はマハンのテーゼに則って進められている。大東亜戦争はこの二つの地政学的戦略のぶつかり合いであった。
ボスポラス海峡は航空交通が発達した現在では分かりにくいが、アジアとヨーロッパの接点、文明の衝突点である。アジアの大文明圏はチグリスユーフラテス圏(現在のイラク)とエジプト圏で、ここからヨーロッパ(地中海世界)に行くのは存外に容易ではない。北側はカスピ海、黒海が控え、黒海東岸の陸続きのコーカサスには大山脈があり多数の種族が蛮勇割拠していた。今でも紛争が絶えないところである。そこでアナトリア(トルコ)からギリシアに渡るルートが安全であるが、ここには幅が約2Kmの大海峡が存在する。
この海峡は、トルコ半島(アナトリア)がギリシア側から離れるような地殻運動によって、黒海の土手がプツンと切れたような形になっている。看護師のナイチンゲールが活躍したクリミア半島を出航して黒海を南下し、この海峡を抜けるとマルマラ海でさらにダーダネルス海峡を通って漸く地中海である。海上交通の要衝である。海峡の潮流は黒海に注ぐドナウ川、ドニエストル川、ドニエプル川の水量を捌くため相当に速い(2.5m/秒)が、底部は海水と真水の比重差を埋めるために海水が逆流している。
マルマラ海に出る直前、金角湾と言う切り込みを持つヨーロッパ側の突端があり、ここがイスタンブールである。この小半島は断崖絶壁である。この絶壁の上に、高さ数十メートル、幅数十メートルの石の城壁をめぐらし、金角湾にギリシア火(火炎放射器様のもの)を装備した海軍を擁して築き上げたのが東ローマ帝国の千年の都、コンスタンチノーブルである。拡大、縮小を繰り返し、キリスト教国の十字軍に滅ぼされたり再興したりしながら、最後はオスマントルコの大軍に包囲されて陥落するわけである。生存をかけた凄まじい執念をこの城壁が訴えている。攻める方、守るほう、どちらも同じ種族の戦いでは考えられない苛烈さである。出撃しては金角湾に逃げ込み、湾口を鉄の鎖で封鎖して抵抗し、物資の供給を続ける東ローマ帝国海軍に手を焼いたオスマントルコのメフメト二世は一夜のうちにオスマンの軍船を海峡から山を越えて直接金角湾に下ろし、ビザンチン海軍との決戦の末、漸く長期戦に決着をつけた。1453年のことである。
最初に訪問したとき、オスマントルコ(現地ではオットマンと発音)軍楽隊の行進曲を買いたかったが、現地の人からその様なものは売っていないし、買うことも良くないと言われた。いわゆる世俗主義の下で、イスラム色を無くそうと努力していたのである。このようにトルコ近代化を成し遂げたのが第一次大戦後の指導者ケマルアタチュルクである。
中東の歴史は好きで良く本を読んだが、二回目の訪問時、当時の大統領とも繋がりのある人が社長をしている会社(YAPI)に行って、知識を披露すると、非常に喜んでくれて、建国の父ケマルアタチュルクの本や、現代トルコの音楽CD等を送ってくれた。とてもエキゾチックな音楽で今もドライヴのお伴である。
イスタンブールの町にはグランバザールと言う大きな市場がある。金銀宝石が有名でトルコ石が特に有名である。妻にネックレスを買った記憶がある。食事は比較的欧州風でそれに中東の気配を加えたものが多く、特に違和感は無く、美味しい。日本人が好きなカラスミの産地でもあるし、トルコ石が有名である。
この海峡には日本の建設会社が掛けた橋が二本架かっているが、さらに交通渋滞の緩和のための海峡横断道路トンネルと、水の供給用のトンネルを掘る計画が出た。その地質調査を兼ねてイスタンブールから黒海までの中間地点までアジア側を北上した。途中の喫茶店でコーヒーを飲んだが、歌の文句にあるような、琥珀色した濃いものである。フランスのエスプレッソよりさらに濃く、豆の粒がそのまま入っている。思うに、文明度が深まると飲み物、料理のソースは濃くなるのではなかろうか。アメリカのような薄いものはほとんど見かけない。アメリカではウイスキーばかりか、コニャックも、ワインさえ水で割ることがある。
人種的にはいわゆるトルコ人であるが、混血も多く、夢かと思うような美人がいる。背丈は日本人をやや大きい程度であるが、八頭身で手足はすらりとして、白磁の肌である。髪は黒髪で、目がグリーンであった。話は飛ぶが、それより後年になって、もう一人不思議な女性にあった。ロンドンのカシミア店であった。後ろ姿が見えた。お尻が飛び出した足の長い全くの黒人風である。ところが黒いセーターから覗く襟足は白いではないか。おかしいなと思って、顔を見たくなり前に回ると、気配を察したのかその女性が振り向き、ニッと笑った。あごが突き出し、額は狭く後退した典型的な黒人顔である。しかし肌は白い。実に奇妙である。アメリカの黒人は白人風の顔立ちで肌が黒い人が多いが、全くの逆である。正直、動転した。遺伝学的にはありうるであろうが、ホント奇態に感じた。
イスタンブールには、その後2010年の5月と10月にも訪問した。いよいよ海峡横断道路トンネルが動き出したのである。この時点は日本の建設会社が日本のTBMを使って地下鉄の工事を施工中であった。現場見学をさせてもらったが、地下鉄は半島の南の縁を巡っていて、何層もの遺跡が出て、保存作業と建設作業とが錯綜して大変であるとの話を聞いた。しかし1996年に見た絶壁の城壁の外側は埋め立てられて環状道路が通っていた。便利にはなったが歴史が変えられたような気がして残念であった。この時はオスマントルコの軍楽隊の音楽が大々的に販売されるなど、世相も大きく変わっていた。
海峡横断トンネル用TBMはフランスパリの環状道路SOCATOP A86案件、その他大型案件に続いて、またしてもドイツのヘレンクネヒト社に受注を奪われた。欧米各国へのアタックの最終章になってしまった。
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