ホッと空の物語55‐続きはイタリア・アルプス紀行から

ドーバー海峡トンネル工事終了後も、大型案件が目白押しであった欧州へ多くの技術調査団が派遣された。来るべき国内重要案件への参考にするためである。

欧州の鉄道網のネックはドーバー海峡とアルプス山脈である。海峡の次はアルプス横断鉄道トンネルで、すでに計画は動き出していた。
一回目は1995年6月10日から6月18日の間で、鉄道関係者による「アルプストンネル官民合同調査団」、二回目は1996年9月25日から10月12日で、道路関係者による「欧州トンネル新技術調査団」である。そして三回目は2000年6月2日から6月11日で、関西の建設業界を中心としたイタリア訪問団である。

「アルプストンネル調査団」はフランクフルトからローマに入り、市内観光やオペラを鑑賞後、トリノへ移動した。オペラの出し物は蝶々婦人であったが、着物が中華風でなんとも奇妙な感じであった。トリノからスサを通りアルプスを越えて、フランス側のモンメリオンを通ってシャンベリーに到着した。そしてリヨンで日本他社の岩盤シールド掘進機稼働状況を視察した後パリに到着、帰国という行程だった。
ヨーロッパアルプスをバスで越えたが、壮大な谷間をクネクネと上って行った。これを馬車、人力で通過した昔は非常に困難なことと思えた。通過路を望む遠くの尾根には石とレンガで出来た城砦が築かれており、よくもこんな場所にと感心する。今はほとんどの城砦がホテルやレストランになっている。山奥だが美味しい料理を出す。
リヨンには日本人の技術者が一人で駐在していた。現場所長はドーバーT2の所長だったファバ氏である。地質はGneiss(片麻岩)と言う相当硬い岩盤で、石英分が多くキラキラと光っている。カッタだけでなく本体構造体もすぐに摩耗してしまう。その上高圧水が作用しているので修理作業が困難で大変な難工事になっていた。駐在技術者はたった一人で、針のムシロと他人事ながら同情した。この案件は我社も応札したが、ドーバーで手がいっぱいだったのと、超硬岩への不安が強く断念した。この判断は正解と思った。

「欧州トンネル新技術調査団」の場合はアルプスのドイツ側からバスでアプローチした。フランクフルトから温泉で有名なバーデンバーデンで一泊して、そこから列車でライン川を下った。エアケレンツ留学以来である。列車の速度も格段に速くなっており、ローレライを見落とすなど、景色が変わった印象であった。デュッセルドルフに二泊して、エアケレンツのビルト社を訪問した。街は全く変わりなく、洗濯屋、ビール喫茶、コンビニも同じ場所にある。往時との違いは住人に中東系の人が多くなっている位である。変化の無さに懐かしさと共に、驚きそしてなぜか、すこし寂しい気もした。
そしてチューリッヒからインターラーケンに一泊、ユングフラウヨッホに登ってバーゼルで一泊。クール市で一泊してインスブルックで二泊した。クール市では、裏が透けて見える機械式の時計を購入したが、数年で壊れてしまった。入社したとき購入したセイコーの自動巻時計は未だ健在である。やはり日本製が良い。ユングフラウはアルプス山脈の東に位置して、西のモンブランと並ぶ名峰である。山頂には列車とケーブルカーを乗り継いで登っていく。かなり高度が高く、酸素濃度も低くなるのでゆっくり行動しないと高山病のように気分が悪くなる。ここには世界で一番高いところにある郵便局がある。
それから、イタリアに入り、中世の要塞都市ベルベラを観光した後、ミラノで二泊。そこからジェノバを観光してウイーンへ行って二泊。そして空路パリへ出て解散と言う、贅沢な行程であった。私はパリでの解散式の後、イスタンブールへ行ってから帰国となった。
EUの発足は未だで、国境を通過する毎に通貨を交換した。コインは換金できないので持ち帰る。家のタンスにはたくさん残っている。

関西建設業界の訪問団はフランクフルトからミラノに入った。ミラノ市内観光後グランサンベルナールトンネル視察、モンブランに登頂してトリノへ。翌日アルプストンネル社を訪問し情報収集してジェノバへ。そしてピサの斜塔、フイレンツェ、ボローニャを経由してベニス(ベネチア)へ。その後ロンドン経由で帰国した。
この団体の参加者は互いに利害関係はあまりなく、通訳、ガイド付きの楽しい旅行であった。あらためてイタリアの歴史、文化を満喫できた。一番の印象はル・ネサンス発祥の地フイレンツェである。それまでローマを見てさすが千年帝国の都と思ったが、文化的発信力はフイレンツェの方が強いと感じた。この様な栄華を支えたのがメジィチ家と言う一豪族と言うのがすごい。
イタリアにはローマ、ベネチア、ミラノ、トリノ、ジェノバ、フュレンチェ、ナポリなど多数の有名な都市がある。どの都市も歴史が深く、ミラノはロンバルディア王国、トリノはサルジィニア王国の首都であり決してローマに引けを取らない町並みである。かっての王家の中にはいまだ健在の家族もあり、復権をもくろんで裁判で争ったりしていると聞いた。
国の首都は一般的に政治・経済・文化の中心であるが、街並みは発展とともに膨張してだらしなくなることもある。しかしトリノの旧市街のアーケード付き碁盤の目の街並みは見事というほかない。郊外にはパリのベルサイユ宮殿以上の大庭園宮殿がある、サヴォイア王家の経営によるものである。最も首都らしい首都と個人的には思っている。アルプスの麓であり、日本人の街の風景の感性に合った処でもある。
そんな州都のなかで、ボローニャは思い出深い。街の建物は赤レンガが主体である。色と関係はないと思うがイタリアの中でも特にコミュニスト(共産主義者)の勢力が強いらしい。この街にもレンガつくりの斜塔がある。ピサだけではないのである。地盤がゆるく基礎工事が悪いので建物が傾くということらしい。

アルプストンネル案件はその後も情報収集を継続し何度も現地GCを訪問して、TBMの受注活動を続けた。しかし英仏海峡の地質とは異なり真正の硬岩であって、日本の硬岩TBM技術の評価は低く、どのトンネル案件にも参加できなかった。実際、実績も貧弱で信頼を得られるレベルでは無かった。初期の案件はドイツのWirth社製TBMが採用された。

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