ホッと空の物語51‐海峡のモグラ-高速施工と記録

掘削作業は3シフトで24時間、364日行われた。休みは12月4日のセント・バーバラの日だけである。
1989年6月に破損したカッタヘッドを補強修理し終わり、完全にブルーチョーク層に入って、10月からは月進600mをコンスタントに出せるようになった。
掘削とセグメント組み立てを同時に20分、TBM後胴の前進(盛り替)に10分。つまり30分で1.6m前進する。一日三交代の24時間、年間364日操業である。最高月進は1178mで、メンテナンス、消耗部品交換時間を考慮して私の計算(1200m)どおりであった
1991年1月9日にT2は当初契約の15.8Kmを掘削した。計画より約9ヶ月先行した。一方、英国側の進捗ははかばかしくなくトンネル開通を遅らせない為に、速度の速いフランス側TBMがさらに掘り進むように契約が変更された。英仏の国境はフランス側から19.282Kmの地点にある。どちらが国境を通過するかは当初から激論が有った。フランス側は地質が悪く速度が出ないだろうという理由で、ドッキング地点はフランス側に設けられ、国境掘削は英国側の所掌範囲となった。しかしフランス人は心に期すものがあった。なんとしても取り戻すと言っていた。望みどおりフランス側の範囲となり、T2は最終的に20.009Kmまでを掘削した。国境地点では両国の国旗がセグメントに描かれ、それに思い思いにサインをした。これはフランス側従事者の特権だった。スタート地点にも私はサインを残している。再び見る事は無いだろうが消えずに残っていて欲しい。
トンネルのドッキング地点では、英国側TBMはトンネル下部にもぐりこんで埋殺され、その後フランス側TBMが到着する。そしてフランス側TBMは解体、搬出されてそのカッタヘッドはサンガットの地にモニュメントとして展示されることになった。したがって、最初の貫通式典も我らのT2ヨーロッパ号が行ったわけである。イギリス側の掘削が予定より遅くなったのは、地質に亀裂が無く水圧は作用しないと言う前提で、TBMを密閉構造にしなかったため、実際に発生した湧水に対応できなかったからである。貫通式もフランス側に取られたので、英国人としては不満であるが、英国側には有名なシーンが残っている。二本の列車線(上り、下りではなく北行き、南行きと言う)はクロスオーバーといって、車線が入れ替わる所が英仏側共に有る。ここの掘削は英国側ではトンネル掘削と並行して開放式で行われたので、作業の全景を望むことが出来る。この写真が、業界で高名なT&T誌を飾った一枚である。
後日談であるが、T&T誌の記者とはこの時、懇意になり、何度か私の記事が誌面に乗ることになった。また、これらの親交を通じて、1999年にBTS(英国トンネル協会)で年一回の定例講演会のメインスピーチ(二時間)をさせてもらった。タイトルは「Exotic TBMs」で非円形掘削機も含め当時最新の様々な掘削機を紹介した。英国以外の欧州人でも講演をするには内容はもちろんのことながら英語能力などの審査が厳しく難しいらしい。私がこの栄誉に浴した最初のアジア人となった。講演許可取得には友人の英国人が尽力してくれた。彼はBTSとの間で、原稿のブラシアップ、発音・リズム・アクセント修正、そして質疑応答の支援までを約束していて、自ら録音をしてテープを送ってくれるなど懇切に助けてくれた。最後の関門は事務官による電話での質疑応答で、不意を付かれたが何とか合格した。こうして英国業界に深く入り込むことができ、数多くの案件を受注することができた。結果ロンドン滞在は合計162日で第四番目となった。
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