ホッと空の物語50‐海峡のモグラ-カレーの市民‐2

T2の掘削開始は1988年12月6日で、終了は1991年5月24日の20kmである。
この間に、世界は大きく変った。
1989年1月7日に昭和天皇が崩御した。日本時間の早朝6時半だったが、フランスでは6日の午後10時半である。すべてのフランスのテレビが緊急放送を始めたのを記憶している。日本に電話したが、国内ではまだ情報は伝わりきっていなかった。
同じく1989年11月9日には突如として東西ベルリンの壁が開放され、多数の東独の人々が西ドイツになだれ込んできた。あれほど堅牢な東独がまさかの感であった。もっとも欧州では、この年の中ごろから、東独崩壊の噂は流れていた。今の内に東独の国旗を買って置こうと、知り合いの西ドイツ人に頼んでいたが、間に合わなかったのは残念である。

長期滞在には様々なことがある。
カレー駅の北にある中華料理店は安くて美味しいので仲間とよく通っていた。ある日曜日の午後、店の近くで雑貨屋を見つけたので冷やかしに入った。そこには50才前後の中華のウエイトレスがいた。雑談をしていると唐突に「山下奉文を知っているか」ときた。まずいと直感したので、知らないと言うと、なぜ知らないのか、と絡んできた。山下奉文はシンガポール攻略の司令官のことである。どうもつらい目にあった模様で、目つきに殺気を感じたので早々に退去し、以後この中華料理店には行かない事にした。しばらくして店主が、彼女を首にしたのでまた来てくれと言って来たが、行ける訳は無い。
ドイツのミュンヘンでバウマという建設機械の展覧開が開かれる。懐かしい街であるし、今後のTBMの欧州市場の模索も兼ねて二泊三日で視察に行った。帰ると私の部屋から、カラオケもできる日本のビデオモニターが無くなっていた。ダンケルクで誰かが使用していたもので行き場がないというので預かっていた。食事を共にしていた彼が涙顔で告げに来た。止めるのを聞かずにアドミとPMがかってに部屋に入って持ち出したと。極めて残念で以降彼らと親しくしたことは無い。この後、予備の鍵は仏人保管者に預ける事にした。
ある時うっかりしてオートロックの鍵を室内に残して外出してしまった。休日なので保管者がいなく、大家の家にマスターを借りに行った。これがとんでもない邸宅であった。ベルサイユ宮殿を小型にしたような屋敷で、門には両側に門番小屋がある。呼び鈴を鳴らすと、遠くの母屋からオーラ漂う10歳位の男の子が現われた。東洋人を見て多少驚いた風であったが臆せず、話を聞いてくれた。しかし言葉は同じフランス語には聞こえず美鳥のさえずりの様で、物腰も普通の少年のそれとは違う、これが貴族なんだと悟った。フランス革命ではブルボン王家は倒れたが地方王族・貴族は健在である。幻の様な光景であった。
休暇はよく旅行をした。モンサンミッシェルとナントの街に行きたかったが、いつでも行けると思っていると結局行けなかった。思い立った時に行くべきである。ベルギーの街はほとんど訪ねた。ブルージュが好きだが、国全体が都市群である。欧州の中心と見て良いかと思う。その南のルクセンブルグにも行った。ここはまた趣の異なる面白い邦である。
時にはやはりパリへ出たいものである。他部門のアルジェリアで駐在技師をしている人が居た。月一回パリに出てくるので会いたいと誘われた。砂漠で鶏と二人で暮らしているということで、パリで同邦との話が唯一の楽しみと毎回の涙顔であった。支給される現地のお金は日本に持って帰れないので、日本食高級レストランで随分とご馳走になった。
やはりパリに出ると食事以外の楽しみも多い。エッフェル塔に階段で上ったが、これは結構きつい運動であった。凱旋門には一度上がる価値はある。クレージーホースと言うセクシー劇場は相変わらず繁盛していたが前の席を含め多くが日本人客になっていた。また昔は追い出されたルイビィトンやエルメスにも日本人観光客が群がり、店員も日本語で応対する変り様であった。Japan マネーが世界中で踊っていた。
フランスで働くには労働ビザが必要である。我々はベルギーとの国境の町であるトルコワンで取得した。仏語会話は必須条件であるが、我々の場合は審査官が書類を見て、申請の理由はラ・マンシュのためと言うとすぐに許可が下りた。もちろん通常は簡単ではない。旧仏植民地から来る人が多いが母国から直接フランスに入ったのでは、入国許可が下りないので、ドイツやベルギー経由で入国を図る。男女を問わず身体検査も含め厳しい審査を受けなければならない。
移民はこの頃より徐々に増えていた。リールでも地下鉄を降りると使用済み切符をせがまれる(回収されないので、また使えるから転売?)。彼らの失業率はかなり高く、技能を持っていても仕事はない。臨時で雇った現場作業員にモロッコ人がいて、溶接技術は優れていたので重用していた。彼は長期雇用をして欲しくて近づいてきて何度も自宅に誘われたが、何か不安なので行かなかった。しかし今となると好奇心は湧いたときに満たしておくべきであると残念に思っている。


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