ホッと空の物語49‐海峡のモグラ-カレーの市民ー1

掘削のスタート地点は、サンガットと言う小さな町である。宿舎を置いていたカレー市から車で20分ほどである。通勤は提携したタクシーを利用した。カレーの市庁舎の前の庭には「カレーの市民」の像がある。この像はオリジナルの鋳型から作られた12のエディションの一つで第一番目のものである。ちなみに東京の国立西洋美術館に9番目のものがある。これは1953年鋳造、1959年に設置されたものである。
派遣員はメゾンを借りて分散して住んでいた。私もホテルからメゾンに移った。部屋は一階の南向きであったが、道路脇で無用心なので三階に移った。南向きが良いだろうと選んだが、間違いだった。緯度が高いので太陽高度が低く朝夕は日差しがほとんど水平に入ってくる。夏場は寝ていられない。遮光カーテンでも防げないので、北側の部屋に移った。
安定的な掘削になったので、週休2日になるようにシフトを組み、休みには思い思いに遠出をした。時折ロビンスの社長が視察に来て会食をしたり、TMLのファバ所長が慰労会をしてくれた。
生活サイクルが固まれば海外の一人自炊生活も結構楽しい。休日にマモー(マンモス)と言う巨大マーケットに買出しに行き、好きなものを好きに料理して食べる。大体は牛筋肉を赤ワインで煮込んでシチュウにし、味付けを変えながら食べて、最後はカレーにするパターンが多い。野菜はニンジン、ほうれん草、キャベツのほかチコリなどである。時折、朝早く港に行き、漁師からカレイ(ドーバーソール)を直接買う。一匹6フラン程度である。刺身で食べ、煮付けにし、後は内臓をとって冷凍しておく。米はタイ、マダカスカル、カルフォルニア米が手に入る。マダカスカル米が長期駐在には適している。醤油、味噌はパリから運んだ。帰国時には高野豆腐、乾麺、ふりかけ、海苔、わかめ、カレールーなどの食材を持ち帰る。何でも手に入るので問題はないが、水は硬水で石灰分が強く困った。歯茎にもたまって、歯が欠けたのかと思うような欠片が出たことがある。大きな入れ物に半日ためておき上澄みを使うと良い。洗濯は近くのランドリーを利用していたが、メゾンに洗濯機と乾燥機を揃えた。
同じ駐在員の中で特に親しくした人が居た。彼は料理ができないので私が彼の部屋に行ってビールを飲みながら、切り方、味付け、火加減を教えるのである。ちなみに彼は酒がまったく飲めない。休日は一緒にテニスをしたりやギターを教えてもらって過ごした。
海外も慣れると悪くはないが冬の寒さだけはどうにも堪える。しかし室内は暖房がきいているので日本より良いかも知れない。日照時間は6時間程でまったく気がめいる。逆に夏は日照時間が長く、さほど暑くないので過し易い。ただ普通の住宅やホテルには冷房はないので熱中症には注意が要る。いつもは車で通過するが、若い女性のほとんど裸の日光浴を眺めながらラ・マンシュの海岸を歩いて帰るのも悪くない。
駐在は6ヶ月毎に約2週間の帰国休暇がある。日本を出国する時は航空機に乗ったら直ぐに日本のことは忘れることが出来る。しかし、帰国の場合は予定の2週間ほど前になると、その日を指折り数え仕事は逆に上の空になる。従って、一度帰国を決めたら、予定変更をしてはならない。心はもう日本に移っておるので思わぬ事故を起こすことになる。
たまの帰国、家族との再会は、新鮮で良いのであるが、私の場合、長男は1984年生まれで、私は1986年からフランス駐在であるので、彼にすればほとんど父親と言う記憶がない。従って、「おっちゃん、誰?」となり、寄り付かない。馴れた頃にはまた居なくなるわけである。寂しい、むなしい感じもあり複雑な心境である。
帰国時に大失敗をしたことが有る。パスポートが切れていた。海外への出発は6ヶ月以上の残存が必要であるが、長期で有ったので忘れてしまった。ドゴール空港で問い詰められたが、仏語も英語も中国語もはては日本語も分からぬフリをして結局飛行機に追いやられて助かった。日本到着時には以後気をつけなさいよと言われただけで許してもらった。

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