ホッと空の物語48‐海峡のモグラ-来たー!ブルーチョーク

掘削作業は当初から3シフトで24時間行われた。第一シフトは午前5時から午後2時まで、第二は午後0時から午後9時、第三は午後8時から翌日5時である。私は責任者であり、TMCとの毎日の会議もあるので第一シフトに入った。朝3時半におきて、朝食を食べ、昼食の弁当を持って4時半には現場入りする。そしてシフトが終った後も、第二シフト終了まで残らざるを得ない。それからメゾンに帰宅、食事を作って就寝は午前様、睡眠時間は一日2,3時間という日々が、春先まで続いた。今なら過労労働で問題のレベルである。
4月後半に入って650m程掘削が進むと、待望のブルーチョークがトンネル下部から現れ始めた。ベルコンを見ていると、岩石状の破砕片が混じり始める。湧水も減少していく。待っていた。嬉しかった。この頃は目標月進(530m:18m/日)の半分以下で、まだまだ程遠い毎日だったが各部の作業員は仕事に慣れ、現場全体も何とか順調に回りだした。
しかし、ついに進行していた破局がその姿を現した。5月末の1062m地点であった。さあ全断面ブルーチョーク層を高速掘削するぞという準備点検で明らかになった。 カッタヘッドのメインフレーム(主桁)の破損である。これでは掘削は続行できない。実はこの事故の兆候は3月半ばの数百mの時点で現われていたが、嫌な物を見たくない心理と支払い停止を避けるため1000mのマイルストーンまで捨て置いた。
事故原因は一言で言えば強度不足であるが、グレーチョークの粘りから生じる摩擦などの力は想定以上であった。約16トンもの鋼材で補強した。一ヶ月のロスをすることになった。しかし皮肉にも、毎日の過酷な勤務時間から逃れることができた。
こういう深刻なトラブルの場合、対応策の作業に加えて、メーカ本社からも施工者(TMC)や施主側からも責任追究が行われる。 さらに各界の学者とかが興味津々で現われ、対応に膨大な手間隙がかかる。しかしこの時は施主側から「責任探しをせず、技術的原因分析と具体的対応を最優先にする」と声明を出してくれた。 誰も予想できない不可抗力と言うことである。世界的プロジェクトを遂行する心構えで、感銘であった。
これを受け我が本社も技術面、人材面で総力を上げてくれた。もとより現地駐在員は全力で奮闘した。その結果思ったより短期間に対策工事が終わった。立場を超えて関係者全員の一体感が生れた時である
ようやく高速施工の環境が整った。
掘削した土砂はTBMから竪坑までズリトロと言う列車で運ばれ、立抗で列車ごと反転してクラッシャ室に落とされる。ここで砕かれて、水と混ぜられ、ポンプで数Km離れた土捨場に圧送される。土捨場は巨大な人造池で、ここでチョークは沈殿、乾燥して元の自然に還るというわけである。この土捨場は、第二次大戦時のドイツ軍カレー海岸防衛軍のトーチカ群があったところである。この痕跡を埋めて、戦争の傷跡を消す事も出来るので、一石二鳥と言うことであった。
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