ホッと空の物語45‐海峡のモグラ-サンガットの組立工事

サンガット。。。。
1988年10月24日に現地入りし、サンガットでの予備品収納作業を始めた。一段落した11月に入って、T2のTACチーム(技術支援)のチーフとなることになった。
しかし愕然としたのは、T2の惨憺たる実情である。遅れに遅れた作業は仕方ないとしても問題は現場の殺伐とした雰囲気である。指導陣の方針・指揮が揃わず、その結果として作業員同士もギスギスしている。
12月5日が掘削開始の支払いマイルストーンである。膨大な金額である。残り時間は2週間しか無く、とても間に合いそうにない。しかし止まってはいられない。まず組立作業進捗の実態を把握しないといけない。試運転を指揮しながら、各員とのコミュニケーションを図るため、私も作業員として現場に入り、早朝から深夜まで走り回った。
他の要員はマンション住まいであったが、私はホテル住まいだったので、昼食の弁当が作れず、現地で雇った人に毎日フランクフルトを挟んだパンを買ってもらっていた。夕方は遅くなるとレストランは閉店するので、ほとんど朝昼だけの二食であった。
無理がたたり、ひどい腰痛が出てきた。まともに歩けないので、杖を付きながら作業をしていた。病院に行ったが、投薬も特別な処置も無くストレッチを指示されただけだった。数週間後の或る夜、エレクター回りの円筒状の足場上を一人で調査をしているとき、腰の痛みから姿勢を崩し、5m上からすべり落ちた。とっさに近くのケーブルを掴んだが、手袋が油で滑ってずるずると落ちて行った。かろうじて止まったが4mの高さで宙吊りになってしまった。ケーブルが切れなかったので助かり、他のケーブルを伝って這い上がった。ここで事故とは洒落にもならない。しかし、おかげで腰痛は嘘の様に消えてなくなった。
季節も寒くなり、事務所としてコンテナハウスを十数個並べていたが、アドミ(現地住居関係世話役)の怠慢で電気が来ない。暖房機も無くコーヒーも飲めず、これも不平不満のひとつであった。そこで直接、フーバ氏に直訴して配電してもらった。
取り扱い説明書の仏文版が届いたので、T2のフーバ所長の依頼で、クルー全員を集めて作業の合間に11月8日から22日まで、9回にわたって、一回2時間の教育プログラムを作成して講義を行った。T3の所長は日本に来ていたスーケ氏である。

個別機器の作動チェックが終わり、全体試運転を始めたのは11月末である。12月5日までに5リングを組み終っていなければならない。12月に入り、個別運転プログラムのチェックは一応終ったが、さまざまなケースに対応する全体プログラムチェックはまだであった。山に入ってしまえば後戻りはできないので、掘削開始は未だ無理だろうと悩んでいた。SM(サイトマネージャー)とPM(プロジェクトマネージャー)の意見も割れていて決まらない。チェックを完全に終了してからスタートすべきか、何が何でも契約期日を守るべきか?決心が付かない。 そこで全作業員を集め、状況説明をして意見を聞いた。「チーフについて行く」と全員が答えてくれた。ここで数週間延期しても、この未完成さは余り改善されないだろうと判断し出発することを決断した。
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