ホッと空の物語-13 驚愕の独製硬岩TBM

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ビルト社ではTBMを製作している工程を追いながら、輸入後の運転、メンテナンスをスムーズに行うために、研修を受けた。毎日、講義と現場実習である。自身の会社では、TBM事業は開店休業状態だったので、製品への関心はあまりなかったが、彼らの基礎技術には大いに興味があった。ビルト社は規模としては中クラスであるが、技術レベルは非常に高く感じられ、同じトンネル掘削機を設計する立場として、格段の差を思い知らされた。設計思想は極めて合理的であり、部品性能にも大きな差があった。特にエンジンに相当するモーターや減速機は日本では見たこともない大容量で、しかも水冷式で相当に小型である。また岩を砕く回転カッタ(ローラーカッタ)は日本には無い部品で世界でもアメリカのロビンス社と2社だけであった。また超高圧ジェット水で岩を破砕する技術も研究・実用化していた。(この技術は日本ではこの後二十数年もしてようやく検討・実験が始められた)
機械を動かす油圧装置はわが社でもドイツから技術供与を受けて製造をしていたが、油圧でここまで可能なのかと驚きの機能の多くの製品を初めて知った。機械メーカーとしての助言をするために参加したわけであるが、様々なところで勉強するばかりであった。
日本では多くの部品を社外から調達するが、ドイツではほとんど自社製作である。技能職員は中学生位の年齢で採用して特殊技能を教育訓練していたのが印象的であった。生産現場は歩合制で、一定の生産個数を達成すれば後は給料が増える仕組みらしいが残業者はみたことが無い。定時には工場の門で若奥さんが待っていて、キスをして手を取り合って帰宅して行く。設計室は機密と言うことで見せてもらえなかった。
工場の昼食堂は幹部職と一般職用に分かれていて、広さも内容もまったく異なっている。我々は通常は一般職用で食事した。美味しくなく、喉を通らないメニューの日もあった。
我々の世話をしてくれる職員の家に招かれたことが有る。瀟洒な一戸建てで家族は奥さんと小学生の子供二人と聞いたが、まったく子供の気配は感じられない。聞くと子供と大人の世界は分かれていて、しつけはかなり厳しいようである。後年北部フランスでも同様な機会があったが、やはり同じような雰囲気であった。
TBMの稼動現場見学はイタリヤに行くことになった。トリノ、ミラノを見学しつつ、バルドネキアというところまで行く。ミラノから列車に乗る予定だが、乗る列車の到着が5時間遅れ、しかも、車内灯のための蓄電池を数時間かけてゆっくりと交換する。ようやく出発したが、あと二駅というところに来て、山猫ストと称して運転手がいなくなった。鉄道会社手配のバスに乗り換えてホテルに着いたときは夜遅くであった。昼飯は十分食べられなかったので、みんな空腹であった。ホテルはフルコースを準備していると言うが、パンとワインが出た後、なかなか次が出てこない。皆は待ち切れず、パンばかり食って、サラダ、スパゲッティが済んだときは既にお腹が一杯であった。その後、魚料理、リゾット、シャーベット、肉料理、チーズと続き、デザート、コーヒーとなる。完食したのは私と数人だけであった。コーヒーは濃いエスプレッソでグラッパと言うかなりきつい焼酎で割って飲む。
翌日はヨーロッパアルプスの現場に出かけた。寒々とした風景の中で工事が行われている。視察TBMは、輸入するTBMと同じ形態、口径で上り勾配37度の斜坑を掘る機械である。 斜坑の実感はほとんど垂直である。すべり落ちないように滑落防止装置が装備されている。巨大なバネ仕掛けのピストン装置でTBMが滑り始めると作動して、トンネル壁に押し付けて停止させる。複雑な機械構造が見事に設計されている。その分、電気的な制御は手薄と感じたが、機械式安全装置の方がわかり易いし安心感がある。このTBMへは孔口からインクラインと言うケーブルカーに乗っていくが、その起動・停止は高圧架線にパンタグラフに相当する銅棒を手で持ち接触させて行う。火花が飛び散り、恐ろしく感じた。この方式が衝突などに関して安全だと言うが感電に関しては安全とは思わない。
その後、ローマを回ってロンドンへ行きドイツへ帰国することになった。ローマではコロセウム、カラカラ浴場、古代ローマ遺跡、映画「ローマの休日」に出てくるスペイン広場、真実の口や、著名な観光地を疾風のごとく回った。トレビィの泉にコインを投げると再び訪れることができると聞いた。それはないだろうと思ったが、一応、日本の五円玉を投げ入れた。穴の開いた硬貨は他の観光客を大いに驚かせた。祈りが通じたのか、この後何度も訪問の機会があった。
ローマで興味深い体験をした。カメオのブローチが有名と聞いて、市内を探して歩き、とある通りで店を見つけた。入るとマダムが慇懃な感じで応じてくれ、ブローチの生い立ち、素晴らしさ、そしてどんな感じのものをお探しかとルーペを出して説明してくれるので、数十個入りの箱を何箱か、私もルーペを覗きながら、ゆっくりと品定めをしていた。突然、若い日本人娘2人が入ってきて、「あった、あった。ここや」と大声を出し、私の見ている箱を指差し、これ全部頂戴と言って買い求め現金で払って疾風のごとく去っていった。店の女主人と2人で肩をすくめて苦笑いをするしかなかった。
ロンドンは、大英博物館、バッキンガム宮殿等めぼしい観光地を精力的に巡った。サッチャー首相が出る前で秩序が乱れていて、ソーホー地区では危ないトラブルに出会うなど、良い思い出は無い。ホテルはまずまずの一流ホテルであったが、部屋は半地下の階で、客はほとんどが黒人である。変なホテルだなと感じたが、朝食に行くと大勢の白人が別室にいる。明らかに差別で、我々は地下に入れられたのだと悟った。面白いことは、ドイツ人も英語が出来ずオドオドしていて、日本人と分かると言葉が通じないのに、くっついてくることであった。大英博物館は見事なエジプトの遺跡を展示しているが、盗品博覧会の感じで何かすっきりしなかった。
ドイツに帰国した頃にはTBM製作は組立段階に入っていた。小さな部品は現場合わせで作り取り付けをしていたが、ガス溶断や溶接は使わず、機械的切断、ボルト付けで行うのは驚きであった。配管は油圧回路があるだけで配管要領書は無く、配管マイスターが指揮している。設計工数の大きな削減になる上、配管の出来栄えは上々である。この方法は帰国後自社シールドにも採用した。
工場には製作図面が溢れていたので、この時とばかり写真を取って技術の収集に努めた。身分としては購入者の機械部門員としていたが、あまりに専門的な質問をするので何者かと疑いを掛けられ、競合メーカーの要員であることがばれた。ナチス親衛隊長のような責任者ミューラー氏に呼ばれて、「スパイとして、WIRTHの名においてドイツ国外追放する」と言われたが、研修期間も終わりということで許してくれた。盗み見た図面、工場現場での質疑応答の情報は国産機の実用化に大いに参考になった。
この研修期間の技術経験、視野の広がり、欧州生活はその後の技術者としての世界観に大きな影響を与える事になった。
この栄えあるWIRTH社も経営が行き詰まり、フランスの会社に売られた後、ノルウエーの会社になり、2013年になってすべてのTBMに関する知的財産は中国企業に売却されてTBMの事業活動を停止した。栄枯盛衰とはいえ非常にさびしい。

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この記事へのコメント

タダシ
2019年07月15日 16:17
面白い

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