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ホッと空の物語58‐硬岩用トンネル掘削機のテイクオフ
ホッと空の物語58‐硬岩用トンネル掘削機のテイクオフ 軟弱土用シールド掘進機は泥水式、土圧式の開発により、1990年台までは日本が世界を席巻した。しかし硬岩TBMは、まだ欧米が圧倒的であった。ドーバー終了後の海外での営業活動はTBM分野では完膚無きまでの敗北であった。ただドーバーで二つの技術が交差し新しい風が生まれてきた。ロビンスのディックが、「あなた方は一度覗いた技術は消化して強力な武器とするだろう」と予言していたが、その時が来た。 ...続きを見る

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2018/06/06 17:12
ホッと空の物語57‐西の衝突地点 グラナダ・アランブラ宮
ホッと空の物語57‐西の衝突地点 グラナダ・アランブラ宮 グラナダ イスラム教圏とキリスト教圏の争いはいまだ続いている。 もとは同じストーリーを有する兄弟宗教なので理解は難しい。私の個人的な見解としては、宗教と言うものは少なくとも2000年以上経過しないと成熟(柔和化)しないのではないかと思っている。イスラム暦元年は西暦の622年であるので、現在のイスラムの宗教的歴史年代は キリスト教の14,5世紀頃である。つまり大航海、大布教の対外進出時代である。 宗教戦争は恐ろしいと思う。幸い日本は八百万(やおよろず)の神のいる超多神教の国で、しかも古来より同... ...続きを見る

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2018/04/20 15:10
ホッと空の物語56‐文明の衝突地点 イスカンダリア
ホッと空の物語56‐文明の衝突地点 イスカンダリア イスタンブール かつてコンスタンチノーブル(古い地名はビュザンティオン)と呼ばれた。395年に東西に分割された東ローマ帝国(後世にビザンチン帝国と呼ばれる)の首都である。 現トルコではイスカンダリアと呼ばれている。1996年と1998年に訪問した。ボスポラス海峡を横断するトンネル計画の調査である。 この都市の地勢は地政学の模範のような地形をしている。いかなる国もその地政からは逃れられない。その学問、地政学は一国の運命を左右する。日本の明治維新以降の対外政策の基本構想は吉田松陰の提唱であった... ...続きを見る

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2018/03/15 16:51
ホッと空の物語55‐続きはイタリア・アルプス紀行から
ホッと空の物語55‐続きはイタリア・アルプス紀行から ドーバー海峡トンネル工事終了後も、大型案件が目白押しであった欧州へ多くの技術調査団が派遣された。来るべき国内重要案件への参考にするためである。 ...続きを見る

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2018/02/21 17:20
ホッと空の物語54‐瞬きの終わりに
ホッと空の物語54‐瞬きの終わりに 瞬きのおわりに 英仏海峡を陸続きにする夢は、私が入社する頃に二回目の計画が起こり、掘削機も完成して工事開始寸前まで行ったが経済問題から頓挫した。そして10年後の1980年代半ばに三回目として挑戦された。 この10年の間に日本の掘削機は手掘式から機械式、そして密閉式と驚異的に進歩した。三回目の局面ではKHIは硬岩用TBM技術と大口径軟弱土用シールド掘進機の両技術を自前技術として所有する唯一の会社であった。しかし世界のTBM市場では全くの無名であり、我々にチャンスは無かった。ところが様々な条件が... ...続きを見る

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2017/11/14 11:45
ホッと空の物語53‐海峡のモグラ-その後
ホッと空の物語53‐海峡のモグラ-その後 こうして密閉技術を駆使した泥水シールドや土圧シールドといった日本のシールド式トンネル掘削機は技術・名声共に世界のナンバーワンにかけ上がった。ドーバープロジェクト成功の余勢を駆って、わが社だけでなく、国内主要各社は、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、米国、豪州そして中国、タイ、シンガポール等の東南アジア、インド、中近東へと進出して行った。この時点では日本のトンネル掘削機はまぎれもなく世界最高峰で世界市場を席巻していた。日本の年間生産基数は大手8社だけでも250基で、おそらく世界シエアーは8... ...続きを見る

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2017/11/06 11:24
ホッと空の物語52‐海峡のモグラ-不朽のモニュメント
ホッと空の物語52‐海峡のモグラ-不朽のモニュメント T2ヨーロッパ号の20.009Kmの5月24日到着に続きT3カトリーヌ号も、1991年6月28日に18.857Kmを掘削して完了した。平均月進はT2が664m、T3が685mで契約の530mをはるかに超えるものである。ちなみに従来の実績では150m〜200mである。月進最高はT3の1178mで世界最高記録である。 カッタヘッドが回転した掘削時間はT2で約15,000時間、セグメント数量は12,439リング、74,634ピースになる。総作業延日数は900日である。カッタヘッド破損以外にも様々なト... ...続きを見る

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2017/10/26 10:31
ホッと空の物語51‐海峡のモグラ-本領発揮の高速施工
ホッと空の物語51‐海峡のモグラ-本領発揮の高速施工 掘削作業は3シフトで24時間、364日行われた。休みは12月4日のセント・バーバラの日だけである。 1989年6月に破損したカッタヘッドを補強修理し終わり、完全にブルーチョーク層に入って、10月からは月進600mをコンスタントに出せるようになった。 掘削とセグメント組み立てを同時に20分、TBM後胴の前進(盛り替)に10分。つまり30分で1.6m前進する。一日三交代の24時間、年間364日操業である。最高月進は1178mで、メンテナンス、消耗部品交換時間を考慮して私の計算(1200m)どおり... ...続きを見る

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2017/10/20 10:05
ホッと空の物語50‐海峡のモグラ-カレーの市民‐2
ホッと空の物語50‐海峡のモグラ-カレーの市民‐2 T2の掘削開始は1988年12月6日で、終了は1991年5月24日の20kmである。 この間に、世界は大きく変った。 1989年1月7日に昭和天皇が崩御した。日本時間の早朝6時半だったが、フランスでは6日の午後10時半である。すべてのフランスのテレビが緊急放送を始めたのを記憶している。日本に電話したが、国内ではまだ情報は伝わりきっていなかった。 同じく1989年11月9日には突如として東西ベルリンの壁が開放され、多数の東独の人々が西ドイツになだれ込んできた。あれほど堅牢な東独がまさかの感で... ...続きを見る

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2017/10/12 14:00
ホッと空の物語49‐海峡のモグラ-カレーの市民ー1
ホッと空の物語49‐海峡のモグラ-カレーの市民ー1 掘削のスタート地点は、サンガットと言う小さな町である。宿舎を置いていたカレー市から車で20分ほどである。通勤は提携したタクシーを利用した。カレーの市庁舎の前の庭には「カレーの市民」の像がある。この像はオリジナルの鋳型から作られた12のエディションの一つで第一番目のものである。ちなみに東京の国立西洋美術館に9番目のものがある。これは1953年鋳造、1959年に設置されたものである。 派遣員はメゾンを借りて分散して住んでいた。私もホテルからメゾンに移った。部屋は一階の南向きであったが、道路脇で無用... ...続きを見る

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2017/09/25 14:47
ホッと空の物語48‐海峡のモグラ-来たー!ブルーチョーク
ホッと空の物語48‐海峡のモグラ-来たー!ブルーチョーク 掘削作業は当初から3シフトで24時間行われた。第一シフトは午前5時から午後2時まで、第二は午後0時から午後9時、第三は午後8時から翌日5時である。私は責任者であり、TMCとの毎日の会議もあるので第一シフトに入った。朝3時半におきて、朝食を食べ、昼食の弁当を持って4時半には現場入りする。そしてシフトが終った後も、第二シフト終了まで残らざるを得ない。それからメゾンに帰宅、食事を作って就寝は午前様、睡眠時間は一日2,3時間という日々が、春先まで続いた。今なら過労労働で問題のレベルである。 4月後半に... ...続きを見る

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2017/09/01 13:19
ホッと空の物語47‐海峡のモグラ-チョークの正体と事故の萌芽
ホッと空の物語47‐海峡のモグラ-チョークの正体と事故の萌芽 さて数十mの掘削が進んでいくと、海岸を過ぎて、いよいよ海峡下に入る。そして地山は亀裂が多くなり、水圧がかかり始めた。ここはグレーチョークである。ブルーチョーク層は650m以上先でないと出現しない。この650mが実に長かった。半年以上掛かった。ブルーチョーク層まで立抗を深く掘れば良いのであるが、そうすると地上側のアクセストンネルが長くなりフランス側基地駅とうまく接続できない。列車は急な坂は登れないのである。 ホワイトチョークは地表から30m位までなのでトンネル部分には存在しない。このホワイトの性... ...続きを見る

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2017/08/21 14:08
ホッと空の物語46‐海峡のモグラ-艱難辛苦の初期発進
ホッと空の物語46‐海峡のモグラ-艱難辛苦の初期発進 最初の5リングのセグメントを組立てる(仮リング)と、6リング目からTBMはドーバーの地山に突入することになる。契約どおり、12月5日に準備完了となった。 盛大な発進セレモニーが行われ、T2機はヨーロッパ号と命名された。さあ出発と言う段階で、仏人オペレーターが動かない。先ほどまで運転していたのに、出来ないと言う。「このボタンを押せば良いのだよ」といっても固まったままである。「分かった、替わってください」と言って、私が栄えある第一歩の始動ボタンを押した。 スタートはしたものの、実際に掘削の負荷が... ...続きを見る

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2017/08/11 13:38
ホッと空の物語45‐海峡のモグラ-サンガットの組立工事
ホッと空の物語45‐海峡のモグラ-サンガットの組立工事 サンガット。。。。 1988年10月24日に現地入りし、サンガットでの予備品収納作業を始めた。一段落した11月に入って、T2のTACチーム(技術支援)のチーフとなることになった。 しかし愕然としたのは、T2の惨憺たる実情である。遅れに遅れた作業は仕方ないとしても問題は現場の殺伐とした雰囲気である。指導陣の方針・指揮が揃わず、その結果として作業員同士もギスギスしている。 12月5日が掘削開始の支払いマイルストーンである。膨大な金額である。残り時間は2週間しか無く、とても間に合いそうにない。し... ...続きを見る

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2017/08/08 13:45
ホッと空の物語44‐海峡のモグラ-シアトルの思いで
ホッと空の物語44‐海峡のモグラ-シアトルの思いで 一回目は1987年6月29日から7月2日で三社コンソーシアム中、二回目は8月23日から9月4日で欧州調達の勉強のため、三回目は11月6日から9日で欧州規格と予備品管理のためにシアトルに出かけた。このプロジェクト終了後も、頻繁に行くことがあったので、この街も馴染みになった。 二回目、三回目はロビンスからはお客様のような丁寧な扱いをうけた。二回目はT1製造をしているポートランドに航空機で行った。シアトルから一時間ほどのフライト(東京⇒大阪程度)で、往復80ドル(11200円)ととても安い。しかもま... ...続きを見る

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2017/08/03 14:01
ホッと空の物語43‐海峡のモグラ-出航と工場立会
ホッと空の物語43‐海峡のモグラ-出航と工場立会 出荷および完成検査。。 4月12日にはT3の本体部品がFCBに向けて出荷となった。かってない驚異的なスピードで製作作された。 5月24,25日にT2の客先立会いが行われた。フランスから大勢が検査に来てマルタンも来た。立会いの日は普通、晴れがましいものであるが、今回だけは当社員たちのあの疲れきった姿は異様な感じであった。 この検査を通じて、日仏のマネジメントの差異を知った。日本では上になるほど細かいことは知らないが、フランスはむしろ逆である。細かくても重要度の高い内容は報告がいく。したがって... ...続きを見る

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2017/08/01 09:20
ホッと空の物語42‐海峡のモグラ-パリの生活‐2
ホッと空の物語42‐海峡のモグラ-パリの生活‐2 10月になると、ボジョレーヌーボー(新ボジョレー)と言う新酒のワインが出る。このワインは寝かせて美味しくなると言うものではなく、せいぜい数年で終わりにする。ホテルの近くの表通りをすこし入ったところに、ボジョレーワインを一番に出せる権利を持ったレストランがあって、顧問弁護士のサンソン氏が連れて行ってくれる。外国人だけでは入れてくれない。このオーナーシェフとも懇意になって(それでも日本人だけでは入れてくれない)、ワインのことやフランス料理について教えてもらった。この店は料理も素晴らしいが、特にアント... ...続きを見る

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2017/07/28 13:58
ホッと空の物語41‐海峡のモグラ-パリの生活‐1
ホッと空の物語41‐海峡のモグラ-パリの生活‐1 調達活動でパリの外に出張する以外は、オーレの事務所で仕事をしていた。宿は地下鉄ノートルダム ド ノレット駅の近くのホテルブリタニーにした。このホテルはロビンスがパリの定宿にしていたところで、多い時は同僚8人が宿泊した。因みにノートルとは「我々の」と言う意味でダームは婦人である。つまり我々の婦人=マリア様である。 オーレ事務所はホテルからワンブロック先である。途中に中華料理の「民衆」や、イタリヤレストランがあり夕食に良く用いた。毎日利用しているとおもわぬサービスをしてくれることもある。中華では時... ...続きを見る

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2017/07/28 13:07
ホッと空の物語40‐海峡のモグラ-欧州購入紀行
ホッと空の物語40‐海峡のモグラ-欧州購入紀行 課題は調達品(購入品)である。カッタヘッド駆動装置はロビンスより購入、ジャッキ類は日本製としたが、マンロック、エレクター真空装置、セグメント受取り吊り上装置、掘削延長に伴う資機材受取り装置、大規模受電設備、大容量油圧装置など日本製が無いもの、有っても規格の問題、予備品の問題、契約上の製作比率などからフランスを中心とした欧州で購入する必要があった。すべて初体験の業務であった。 8月23日に改めてT1の勉強と調達品仕様の確認のためシアトルに出かけた。ロビンスはT1製作拠点を米国ポートランドに移して... ...続きを見る

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2017/07/25 10:35
ホッと空の物語39‐海峡のモグラ‐さすがの日本製造
ホッと空の物語39‐海峡のモグラ‐さすがの日本製造 1987年7月25日にT2,3の契約サインが行われ、29日に帰国。31日に社内のキックオフミーティング(スタート会議)が行われた。営業、設計、調達、品質管理、電装など関係部門が集まって、案件の説明、工程、契約内容などを説明して全員のベクトルを合わせる会議である。ただ受注に出発した時の事業部長は「しっかりやって受注して来い。後は引き受ける」と励ましてくれたが、帰国してみると交代しており歓迎ムードではなかった。あまりにも途方もない事をしてくれたと言う事だろう。 ともかく、従来機と比較しても13ヶ月... ...続きを見る

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2017/07/24 13:19

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